1月10日読了。言うまでもなく、ベルクソンの主著とされる恐ろしく難解な本である。数年前に買ってページを開いたものの、あっという間に挫折。そのまま本棚のコヤシになってたものだ。正月休みの自主宿題として、今回はマジで準備を整えてから(笑)とりかかった。ベルクソンの入門本(たしかちょうど1年前に旅先で買った金森修さんの、NHK出版から出てる薄い緑のやつ。この本によると、物質と記憶からいきなり読むなんてのは、自殺行為に等しい所業らしい)で当たりをつけておいて、さらに『時間と自由』を事前に岩波文庫で読んでおいた。これで何とか、ようやく突破である。ぜえぜえ。
しかしまあベルクソンという人は何ともぶっ飛んだことを言ったもんだ。この本の中で最もぶっ飛んでるのは「記憶は脳の中にはない」というところだろうか。じゃあいったいどこにあるんだよ、とも言いたくなるのだが、とにかくメモリというかハードディスクみたいに記憶がどこかに記録されている、なんてアナロジカルなイメージで記憶をとらえているうちは納得できないのだろう。さらに面白い点は、知覚は記憶の蓄積の上に乗っかって成立するというところ。知覚の残存が記憶を形成するんじゃなくて、その全く逆。こっちはわたしのような素人でもまあ何となく納得できる。
しかしベルクソンという人はその昔、高校の時に倫理社会の先生が『笑い』の話をしてくれたときから気にはなってたんだけど、実はとーんでもない哲学者だったのですね。空間化されない時間というものがあることに気づいてしまったところから、ドイツ観念論もイギリス経験論もそうじゃねえだろ~!残念!と言わんばかりにけっ飛ばしてしまうところまで盛り上がってしまうわけだ。いやあほんとビッグスターだよなベルクソン。
『物質と記憶』

コメント
ベルクソンの記憶理論と現代の大脳生理学の記憶理論の対立についての覚書
ベルクソンは、記憶は脳に保存されているのではないという。それどころか、彼は、記憶がどこかある場所に保存されているという思考を否定してしまう。
彼によればこの世に実在するものは、すべて流れという形態にある。
それは、生成流転という言葉であらわすことが出来
読売新聞で取り上げられました
本日、読売新聞文化欄「記者が選ぶ」で、拙訳『キリスト教は邪教です! 現代語訳「アンチクリスト」』(講談社+α新書)が32行にわたり取り上げられました。
「イエスとは何か。原点を考えさせる時宜を得た出版だ。」(飼)
他にも新聞・雑誌の取材を受けています