
●河口龍夫展 ―見えないものと見えるもの―
兵庫県立美術館 12月16日まで
写真を作品に仕立てるような生活を送っていると、物質との間に意識的に距離を置くようになる。とりわけプリントを重視しない態度を取っていればなおさらだ。その反動というわけでもないと思うが、物質に語らせるようなタイプの作品を見ることには興味がある。しかし物質に語らせると言っても、ものがどんと置かれただけの作品だとあまりセンサーの針は振れない。何かが封じ込められていたり、何かが不可視の構造を形成していたりするような複雑なものでないと面白みを感じない。だから関係性や可視不可視の問題を作品化し続けてきた河口龍夫は、見るたびにドキドキする作家だ。
鉛を多用する時期の作品を中心とする迫力のある展示室もよかったが、経験として強力な痕跡を刻んでくれたのはもっと軽やかな作品だった。それは作家が真っ暗闇の中で描いたドローイングを、真っ暗な展示室で展示するというもの。鑑賞者はペンライトを貸し与えられ、文字通り手探りで四方の壁に一列に貼られたドローイングを見て回る。もちろんそれだけでは大して面白い作品とは言えない。この作品の中心はそれとはズレた位置にあって、次の部屋では鑑賞者自身が同じように、暗闇の中でドローイングを描いてみなさいということになっているのだ。わたしはあんまり鑑賞者参加型の作品は好きではなく、順番待ちになってたりするとほぼ例外なくパスするのだが、オープン直後の人の少ないタイミングだったためか、すんなりとB3判画用紙を渡されて真っ暗闇の中に入れられてしまった。
こうなったら描いてみるしかない。手探りでとにかくまず画用紙の全面に線がのたうつように描きまくる。全体にぐるぐるとコイルのような曲線を描き、部分をゲジゲジのように塗りつぶし、縁のぎりぎりを濃くなるように、中央部はちょっと精密な線が現れたりするようにいろいろな線をひたすら描く。これ以上描いたら重なりが多くなりすぎて破綻するかな、という頃合いで終了を告げるボタンを押した。5分?10分?ひょっとして3分ぐらいなのかも。暗闇の中では時間の長さがわからなくなる。
電灯がついて目の前の画用紙が一瞬のうちに可視化する。意外に予想通り描けていてちょっと肩透かしを食った気がした。福笑い的にもっとめちゃくちゃなものが現れると思っていたのだ。係の人にもほめられた(笑)。なにしろ紙面をフルに使ってちゃんとそれらしく(お手本とも言うべき河口ドローイングっぽく)描かれていたからだ。ありがたく自分のドローイングの描かれた画用紙をいただいて次の展示室へ。でも頭の中は暗闇ドローイング体験でいっぱいになってしまっており、それ以降の展示室は上の空で見ていた。こういう脳ミソの殴られ方も悪くない。
本当は「暗闇ではぜんぜん描けなかった」という経験の方がインパクトがあったのだと思うのだ。でもその予測は裏切られており、よく考えると二重の意外性(→崩れるはず→意外に崩れない)をくぐり抜けたことになる。その結果、かなりの混乱がもたらされた。暗闇でもそれなりに描けてしまうのであれば、ドローイングを描くときのわたしの視覚っていったい何なんだ?
この河口展、実は名古屋市美術館と同時開催で、当然のことながら両館で展示作品が違う。ということで近いうちに名古屋にも行かなければなるまい。

佐藤淳一【カワウソ写真家】 [著者情報] 実はカワウソに限らない写真家。平成19年度宮城県芸術選奨受賞。主な著書に『恋する水門』(2007年/BNN新社)、『ドボク・サミット』(共著/2009年/武蔵野美術大学出版局)、『カワウソ』(2010年/東京書籍)他がある。展覧会は『ニーダーフィノウの鉄の骨』(2006年/Gallery Maki)、『アートみやぎ2007』(2007年/宮城県美術館)、『カワウソおもろいねん!』(2013年/海遊館)、『大都会の野生カワウソ』(2018年/埼玉こども動物自然公園)他、1995年より多数開催。雑誌『ワンダーJAPAN』、『土木技術』、スポーツ紙『東京スポーツ』で写真と文を連載。『タモリ倶楽部』(2008年/テレビ朝日)、『出没!アド街ック天国』(2012年/テレビ東京)等に出演。「生きることは、見ること」が信条。芸術と研究を足してサブカルで割った「リサーチ・エンタテインメントとしての写真」を専門とし、土木構造物と野生動物という、かけ離れたふたつの領域で仕事してきました。

コメント
目(視覚)にも指(触覚)の機能があるように、指にも目があるからですよ(笑)、佐藤さん。
目(視覚)にも指(触覚)の機能があるように、指にも目があるからですよ(笑)、佐藤さん。
確かに。描いてて指の先にある目を感じましたわ。