語ることの難しさ

2afd3cc5.jpgおとといの日曜日、宮城県美術館でアーティスト・トークをやってきた。予想をはるかに超える80名もの方に聞いてもらうことができた。ご来場のみなさん、遠路わざわざお越し下さいましてありがとうございました。

学芸員の三上さんに、何の打ち合わせもせずに適当にどんどん質問を振ってくださいなんていい加減なお願いをして、その通りにやってもらった。こういう場では、何を話すか事前に考えすぎると絶対によくない。なぜなら必要以上にカッコつけた話をしてしまうからだ。突然の、想定外の質問にどう対応するかによって、その人の「地」が出てしまう。実はこれはみっともない。みっともないんだけど、それが当人の本当の今の状態なんだから仕方がない。それを見てもらわないで何を見てもらうというのか。

もちろん質問の良し悪しってのはあります。みなさんに質問させておいて良し悪しを言うのもおこがましい話なんだけど。おとといの例で言ったら、水門の技術的な問題に関する質問、これはよろしくないですね。写真の難しいところだけど、その写っている対象の話をし出したら、話が別の次元に入ってしまう。そっちの方が話題としては豊富だったりして、ついつい余計なことをしゃべってしまうので、わたしの立場からするとよくないんじゃないかと思うわけです(逆に聞いている方は面白いのかもしれません)。次に良い質問の例。トークの時間が終わってから、ある人に「何で『羊の門』というタイトルなんですか」という質問をもらったのだけど、これなどはとても良い質問です。なぜなら、作者の撒いた餌(実は自分でも忘れていた)にしっかりと食いついてくれたからです(笑)。なんでさっきみんなの前で言ってくれなかったのかなあ、とすら思いました。『羊の門』というのは、ヨハネの福音書の一節の中に出てきます。あの13枚のピンホール写真の列は、適当に並んでいるわけではなくて、とある有名な絵画作品のアナロジーとして構成されているんです。だからどうした、といわれても困りますが。

説明的でなく、カッコつけるわけでもなく、聞いていて飽きない話をするというのはなかなか難しいものだ。

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