写真というのは平面性の制度なのだ。

472b3bde.jpgphoto by Andrey Martynov, director of Novosibirsk State Art Museum

「おまえの送ってくれた接着剤(「ひっつき虫」のこと)ではたまにプリントが落ちるぞ」と、ノボシビルスクから何日か前にメールが来てたんだけど、その後大丈夫なんだろうか。別に適当なノリで貼ってくれればいいんだけど、剥がしたプリントをもう一度使おうとすると接着する材料は限られてくる。固定してほしいときにはガッチリ固定し、剥がしたいときにはプリントにも壁面にもダメージを与えずにぺろんっと剥がれてくれる、そんな都合のいい接着材料はなかなかない。しかもロシアの壁面はおそらくちゃんとした石と漆喰だろうから、日本のギャラリーの標準的な壁面である「ベニヤ板に白ペイント(笑)」で実績のある「ひっつき虫」がそのまま大丈夫という保証は何もない。ちなみにこのノボシビルスク州立美術館の建物、ロシアの建築ガイド本に載ってて、かつてのソ連共産党シベリア地区委員会本部だかなんだかの、とにかく大層な由来のある建物らしい。ひょっとするとこのあたしが今使わせてもらっている展示室、共産党シベリア地区の大物の執務室だったりしたのかもしれない。何といっても上階の陽当たりのいい大きめの部屋だから、その可能性は高い。それが今やこんな上下逆でわけのわかんない日本のデジタル写真を貼られるようになってしまったわけだ。時代は変わった。

銀塩写真で展覧会をやっていた頃(1990年代)は、すべて額装でやっていた。最初は正式なブックマッティングをPGIの西丸さんに教わって自分でやってみたり。額装のいいところは、そのフォーマットが決まっていて、それに乗っかっていればとにかく展覧会は成立すること。したがって展示スタイルにあれこれ悩む必要はなかったのだ。それでも自分では紙マットやめて2枚のガラス板でプリントを挟んで額装してみたりしたこともあって、フォーマットからの逸脱を全く考えなかったというわけでもない。

額装によってプリントはほぼ完璧に保護できる。これはつまり出展者がプリントに物質的価値を置いているということを宣言しているのと同じこと。だからデジタルプリントになってプリントに物質的価値がほとんどなくなってしまうと、額装という選択は必須のものではなくなった。あたしもデジタル化以来、額装という選択はあり得ないものとなっている。

デジタル写真の初期の頃、デジタルプリントを展示するためのフォーマットというものがなかった。プリントに物質価値がなくなって「紙の映像」みたいな垂れ流し的な扱いをするようになった。そうなるとプリントの物質性を無視して、支持体を仮のものとみなす考え方が浮上してきた。そこにあるのはイメージだけであって、紙は見ないことにするのだ。そうなると壁面にピン止めという最も無造作な方法が有利であり、自分でもしばらくはその方法で展示を行っている。

しかしピン止めも万能ではない。冒頭のロシアのようにピンの刺せない壁面があること。多湿な時期にはプリントの平面性を保てなくなること。ピンが視覚的に邪魔に思えること。いつまでも「仮」な感覚ではいられないこと、など。さまざまな要因でこのところピンが使いにくくなってきた。自分の展示でもひっつき虫を使ってみたり、パーマセルテープで貼ったりということを繰り返してきた。今のところ一番いいと考えられるのは、プリントを壁面にべったりと貼ってしまうことなんだけど(壁画みたいに)、さすがにまだこれはやってみたことがない。スプレーのりで貼るわけにもいかないから、裏ノリ付きの用紙を使うことになるのだと思うが、A1判が何十枚にもなると現場の作業はかなり大変だろう。

というわけで、目下いかにして展示プリントの平面性を確保するのか、銀塩=額装をやめてこの方、棚上げというか先送りにしてきた問題と取り組んでいるわけだが、この問題、実はサイン看板業界のソリューションがそのまま使えることがわかってきた。その意味でも昨日書いたように、写真とポスターの間の垣根がとっぱらわれるような状況にあるのだ。来週、そっち方面の会社の人と会うことになったので、どんなソリューションがあるのかはまた書く。とにかく「デジタル写真をどう展示したらいいのか」という情報は意外に知られておらず、作家の側もあまり明らかにしたくない話題なのかネット上の情報もあまりない(ような気がする)。自分の勉強ついでに知ったことは全部ネットにフィードバックしてやろうと思う。

それにしても、今あたしが考えていることを一言で言えば、「大きな平面をどう出現させるか」ということであって、これってまさしく看板屋さんの領域なんだよね。いいなあ大きな平面!

コメント

  1. TX650 より:

    あれっ?コメント付けられるようにしたんですね。ご無沙汰です!
    「大きな平面」その昔やりましたよ。4,000×3,000くらいかな。塩ビ系の粘着フィルムにプリントして、それを(施工場所の都合で)アクリ板に分割して貼ってから木ねじ止め、でしたが。

  2. jsato より:

    ノボシビルスク州立美術館の建物は、正しくは「旧シベリア革命委員会」でした。

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