写真的事実をめぐって

写真に真は写らない。写真は現実の事態を写す鏡でもなければ、世界へ開かれた窓でもない。

では写真にはいったい何が現れているのか。

それは写真的事実としか言いようのないものである。現実がきっかけとなっていたり、現実に似ていたりするが、現実をそっくり写したものではない。

写真に現われているのは、あくまで「写真的事実」である。

作品としての写真を考えたとき、写真的事実を意識することになる。

写真的事実を意識せずに産み出された作品は、どんなに優れて見えたとしても、単なる「まぐれ当たり」でしかない。

写真的事実を追及するあまり、写真的事実の現われが誰の目にも明らかな作品を生み出してしまうことがある。自分の作品で言えば、天地の反転した一連のシリーズ・・・。

しかしそれはおそらく短命な作品となるだろう。半減期の短い放射性物質のようなものだ。

時間に耐える作品を作り出すには、写真的事実を意識しつつも、写真的事実の現われが察知されないような配慮が必要となるのだ。

鏡のように見えるが鏡ではないもの。窓のように見えるが窓ではないもの。

そういう面倒な構造が要請されているのだ。

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