垂直考

fc3a61d7.jpg海の作り出す水平線は、厳密に考えれば水平ではない。とてつもなく大きな半径を持った円弧の一部を、まっすぐであるとみなしているにすぎない。世の工業的、建築的に作られた水平線もやはり水平ではない。水平に設置された物質は重力の影響を受けてたわむ。たわまないように水平を構築するには、あらかじめ逆向きにたわませておかねばららない。さらに人間の視覚システムには錯視という変な傾向を持っていて、本当の水平線が水平に見えないことがある。水平に見えるには、ほんの少し凸に作らなければならない(つまり海の水平線と同じように作るということになる)。数学的な水平と、視覚的な水平は違う、ということだ。そうなると、もうどういう状態が本当の水平なのかわからなくなってくる。水平はさまざまな欺瞞にまみれている。

それに対し、垂直はシンプルだ。地球上にいる限り、糸と重りがあれば誰でも垂直を出すことができる。地球の真ん中という重力の中心に向かう無限の線、それがすべて垂直なのだ。

水平と垂直はそれそれ90度回転すれば相互に交換できるような事態ではなく、もともと全く別の事態であるということ。

人間をはじめとしてほとんどの動物の目は二つ、横に並んで付いている。水平方向の視野を確保するためなのだろう。そのことによって垂直方向の視野角は狭い。だから下を見たり上を見たりするためには、横を見ることより意識的に生体を使わなければならない。だから垂直方向の情報は水平方向の情報に比べて重みが発生する。落下、浮上、堕落、崇高。垂直方向のベクトルにはそういう精神的な価値付けがなされてきた。地獄の方向は間違いなく下方だろうし、天国は上方にあるという意識だろう(西方浄土、という上下の関係ない概念もあるけど)。

そしてわれわれのフィールドである写真=イメージにおけるフレーム。縦長と横長の問題だ。一般には横長の方が広がりを伝え得ることになっている。単純な視覚的情報量の比較で言ったらその通りだろう。では縦長は「狭い」のか。実はそんなことはなくて、縦長というのは横長と別の種類の広さを伝えるフレームなのだ。

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