
海の作り出す水平線は、厳密に考えれば水平ではない。とてつもなく大きな半径を持った円弧の一部を、まっすぐであるとみなしているにすぎない。世の工業的、建築的に作られた水平線もやはり水平ではない。水平に設置された物質は重力の影響を受けてたわむ。たわまないように水平を構築するには、あらかじめ逆向きにたわませておかねばららない。さらに人間の視覚システムには錯視という変な傾向を持っていて、本当の水平線が水平に見えないことがある。水平に見えるには、ほんの少し凸に作らなければならない(つまり海の水平線と同じように作るということになる)。数学的な水平と、視覚的な水平は違う、ということだ。そうなると、もうどういう状態が本当の水平なのかわからなくなってくる。水平はさまざまな欺瞞にまみれている。
それに対し、垂直はシンプルだ。地球上にいる限り、糸と重りがあれば誰でも垂直を出すことができる。地球の真ん中という重力の中心に向かう無限の線、それがすべて垂直なのだ。
水平と垂直はそれそれ90度回転すれば相互に交換できるような事態ではなく、もともと全く別の事態であるということ。
人間をはじめとしてほとんどの動物の目は二つ、横に並んで付いている。水平方向の視野を確保するためなのだろう。そのことによって垂直方向の視野角は狭い。だから下を見たり上を見たりするためには、横を見ることより意識的に生体を使わなければならない。だから垂直方向の情報は水平方向の情報に比べて重みが発生する。落下、浮上、堕落、崇高。垂直方向のベクトルにはそういう精神的な価値付けがなされてきた。地獄の方向は間違いなく下方だろうし、天国は上方にあるという意識だろう(西方浄土、という上下の関係ない概念もあるけど)。
そしてわれわれのフィールドである写真=イメージにおけるフレーム。縦長と横長の問題だ。一般には横長の方が広がりを伝え得ることになっている。単純な視覚的情報量の比較で言ったらその通りだろう。では縦長は「狭い」のか。実はそんなことはなくて、縦長というのは横長と別の種類の広さを伝えるフレームなのだ。

佐藤淳一【カワウソ写真家】 [著者情報] 実はカワウソに限らない写真家。平成19年度宮城県芸術選奨受賞。主な著書に『恋する水門』(2007年/BNN新社)、『ドボク・サミット』(共著/2009年/武蔵野美術大学出版局)、『カワウソ』(2010年/東京書籍)他がある。展覧会は『ニーダーフィノウの鉄の骨』(2006年/Gallery Maki)、『アートみやぎ2007』(2007年/宮城県美術館)、『カワウソおもろいねん!』(2013年/海遊館)、『大都会の野生カワウソ』(2018年/埼玉こども動物自然公園)他、1995年より多数開催。雑誌『ワンダーJAPAN』、『土木技術』、スポーツ紙『東京スポーツ』で写真と文を連載。『タモリ倶楽部』(2008年/テレビ朝日)、『出没!アド街ック天国』(2012年/テレビ東京)等に出演。「生きることは、見ること」が信条。芸術と研究を足してサブカルで割った「リサーチ・エンタテインメントとしての写真」を専門とし、土木構造物と野生動物という、かけ離れたふたつの領域で仕事してきました。
