鉄骨と影絵

個展準備態勢、に入っている。来年も3月上旬だ。

「鉄骨」と「影絵」というキーワードがずっと気になっていて、セレクションもそのラインで動いている。あまりにベタベタ、わかりやすすぎて涙も出ない。いや、きっとわかりやすい方がいいのだ。過剰に意味を込める重さからは、もういいかげん解放されてしまいたい。色も、重力も、空間も、デジタルも、知覚も感覚も、イメージの表面性も、もはやそんなものは何も問題にしたくなくなっている。写真という形式を否定するでもなく、肯定するでもない。ただそのメソッドをメソッドとして使わせていただく。そしてそれは上手くあってもつまらないし、下手くそでもいけない。必要最低限、押さえるべきところだけを押さえ、あとは成り行きで流してしまう。対象があって撮影があって処理があって出力があって展示がある。その流れをなるべく淀みなく、かつ波立たない状態に維持すること。語らず、そして黙らず。力まずに、放心もしない。目的がない代わりに、あてずっぽうも許さない。

つまり普通にやった結果が普通に現れる。そのようなごくごく平坦な意識の状態を目指しているような気がする。そのようにして作られたものだけが見たいから、そのように作ってみる、ということに過ぎない。もはや時代にひっかき傷など作らずともよい、というような心持ちに遷移してしまったのだろう。

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