ベンヤミンの有名なエッセイ「写真小史」の中には、モホリ=ナギの言葉が引用されている。
新しいものの創造的可能性はたいていの場合、徐々に発見されてくる。新しいものの出現によって基本的にはすでに用済みとなっていながらも、兆しつつある新しいものに圧迫されたため、かえって一時的な狂い咲きを強いられる古い形式、古い道具や古い造形分野において、そうした発見がなされる。たとえば未来派の(静的)絵画は、のちにこの絵画そのものを滅ぼすことになる問題、すなわち運動を同時的に表現する、時間の要素を造形するという問題を明確なかたちで提起したのであった。しかもこの時代、映画はすでに知られてはいたが、まだその本質は理解されていなかったのである。
(ヴァルター・ベンヤミン「写真小史」久保哲司訳/ちくま学芸文庫 ただしこの引用部分はモホリ=ナギの「絵画・写真・映画」の一節)
新しい技術が発明されても、それが新しい表現のために十全に使われるようになるには、必ずタイムラグがあること。そしてその間、古い技術を使った表現は滅びるどころか、一時的な興隆を呈するものですらあること。
写真小史の中で、ベンヤミンはモホリ=ナギを決して持ち上げてはいない。レンガー=パッチュの「世界は美しい」をやり玉に上げつつ、これらの「創造的」な写真は流行的なもの、広告や連想の類として一蹴し、その対極としてアジェやザンダーらを、写真の本質的なあり方として重視している(エッセイの最後にはモホリ=ナギに対する当てこすりのような一文まであったりする)。そしてここで決定された価値はそっくりそのまま、現在まで温存されている・・・ような気がする。本当にそれでいいのか。状況が変わってもこの「定説」はひっくり返らないのか。
ベンヤミンの暗さと、モホリ=ナギの明るさ。
この二人、同世代であり、どちらもあまり長生きできなかった。

佐藤淳一【カワウソ写真家】 [著者情報] 実はカワウソに限らない写真家。平成19年度宮城県芸術選奨受賞。主な著書に『恋する水門』(2007年/BNN新社)、『ドボク・サミット』(共著/2009年/武蔵野美術大学出版局)、『カワウソ』(2010年/東京書籍)他がある。展覧会は『ニーダーフィノウの鉄の骨』(2006年/Gallery Maki)、『アートみやぎ2007』(2007年/宮城県美術館)、『カワウソおもろいねん!』(2013年/海遊館)、『大都会の野生カワウソ』(2018年/埼玉こども動物自然公園)他、1995年より多数開催。雑誌『ワンダーJAPAN』、『土木技術』、スポーツ紙『東京スポーツ』で写真と文を連載。『タモリ倶楽部』(2008年/テレビ朝日)、『出没!アド街ック天国』(2012年/テレビ東京)等に出演。「生きることは、見ること」が信条。芸術と研究を足してサブカルで割った「リサーチ・エンタテインメントとしての写真」を専門とし、土木構造物と野生動物という、かけ離れたふたつの領域で仕事してきました。
