数日前、クアラルンプールのホテルで荷物の整理をしていたら、行きの機内でもらってバッグに突っ込んだままになってた4月3日付の朝日新聞が出てきた。ごみ箱に捨てようと思いつつぱらぱらと眺めていたら、藤原新也がデジタル写真について書いているのに出くわした。今やプロでも素人でもデジタルを使うのが当たり前であるが、デジタル化以降の高コントラストと高彩度という写真画像の傾向は、人間の脳に何らかの変化をもたらすことになるぞよ、というような主旨である。それが必ずしも警告然としていないところが何とも歯切れが悪い感じがしたのだけど、基本的にあの人は写真家の中でもとりわけ高彩度が好きな方だったんじゃないかなあ。スミぬき(CMYのみ!)の印刷で、ものすごい色になった写真集とか出してたもんね。
彩度にしても諧調にしても、少なからぬ誇張がなければ画像は成立しない。それは問題というよりは写真の価値の正体、あるいは写真が本来的に「まやかし」であることの証左であって、デジタルになって突然あらわれた現象でもなんでもないよね。今の画像が高コントラスト高彩度であるのは、画像が物質の制約からちょっとばかし逃げられたというデジタル化の余勢で、オーバーシュート的な過剰域を通過しているだけだと思う。脳を蝕む高彩度、というような角度で責め立てるのはどうかなあ、とさっき食べたばかりの極彩色のマレー菓子を思い出しながら考えたのであった。高彩度で子供がキレるんだったら、熱帯の子供はどうなるんだ?鳥や花を見ないで生活しろとでも?