トークショーにご来場のみなさん、ありがとうございました。
増山さん、大嶋さんといろいろな話をすることができましたが、今回わたしの言いたかったことは上の一言に尽きるようです。デジタル写真によって現れた写真表現の拡張の可能性=新しい地平を覗く穴は、デジタル一眼レフの普及によってむしろ埋められようとしているのではないか。
つまりデジタルによる新しい地平を見ることができるのは、やはり撮影装置がこれまでより小型化していくことが前提であろう、ということ。小型化したカメラは重力を由来とした日常視覚の再現など全く考慮されることなく、世界のひだにめちゃくちゃに入り込んでいくことができる。それに比べてカメラを両手で抱え光学ファインダーを覗いて「正しい」構図を作り上げることを要求する一眼レフのような旧来型の撮影装置の形式は、事物の再現性を重視する従来の写真美学に寄り添いこそすれ、新たな視覚へわれわれを運んでくれることはないのではないか。今日のトークでわたしはこのことを「正しさへの吸着」と言った。一眼レフの重さ、大きさ、光学ファインダー、そのすべてが、規範のある正しい構図、正しい表現へと撮り手を吸い付けるように導いてしまうのだ。それを超克した撮り方をするのは難しいし、そんな撮り方をするのは無意味と思えてくるだろう。
どうせみんな、こいつは何を言ってるんだ、と思っているに違いない。
一眼レフの方がとにかく画質がいいんだから、いいんだよ、と思っているのだろう。
従来の写真美学に基づいた写真を撮りたい人は、どうぞ画質のいい一眼レフで撮ってくれ。わたしはそれを止めるつもりはないし、わたしだって一眼レフを使った方がいい場合は、躊躇なく使う。
しかし、デジタルによって視覚を拡張してみようと思うのであれば、画質を犠牲にしてでもコンパクトカメラで撮るべきだ。誰も賛成してくれなくとも、これだけは声高に言っておきたかった。わたしが写真を続けているのは、どこかで見たことあるような写真を撮ることではなく、今までに見たことのないような写真が見たいからなのだ。

佐藤淳一【カワウソ写真家】 [著者情報] 実はカワウソに限らない写真家。平成19年度宮城県芸術選奨受賞。主な著書に『恋する水門』(2007年/BNN新社)、『ドボク・サミット』(共著/2009年/武蔵野美術大学出版局)、『カワウソ』(2010年/東京書籍)他がある。展覧会は『ニーダーフィノウの鉄の骨』(2006年/Gallery Maki)、『アートみやぎ2007』(2007年/宮城県美術館)、『カワウソおもろいねん!』(2013年/海遊館)、『大都会の野生カワウソ』(2018年/埼玉こども動物自然公園)他、1995年より多数開催。雑誌『ワンダーJAPAN』、『土木技術』、スポーツ紙『東京スポーツ』で写真と文を連載。『タモリ倶楽部』(2008年/テレビ朝日)、『出没!アド街ック天国』(2012年/テレビ東京)等に出演。「生きることは、見ること」が信条。芸術と研究を足してサブカルで割った「リサーチ・エンタテインメントとしての写真」を専門とし、土木構造物と野生動物という、かけ離れたふたつの領域で仕事してきました。
