昨日は小林のりおさん、大嶋浩さん、博士課程の小池くんの4人で、photonwork2号へ向けた対談をしたのだった。話の中身は後々記事になったのを楽しみにしていただくとして、最後の最後に注目の的となったのが、大嶋さんの回していた「アナログ録音機」だった。大嶋さんは「ICレコーダーも使ってみたんだけど、使い方がわかりにくいし、なにしろデータが一瞬のうちに消えてしまいそうでコワい」みたいなことをおっしゃる。デジタル写真を持ち上げた話を3時間もしたあとでの一言だったので、一同大爆笑となったわけだが、笑いながらもそこには何か重要な問題が隠れているなあと感じた。
世の写真家からアマチュアカメラマンまで、今までフィルムを使いこなしている人ほど、デジタルへの移行に抵抗を示しているように見える。デジタルをまず使い始めたのは一部の新しい物好きの人たちだったわけだが、次がサービスサイズにプリントすれば写真を撮ったことになるような、普通のカメラユーザであった。フィルムを意識していればいるほど、デジタル化を「困った事態」としてとらえる傾向がある。最初は解像度やダイナミックレンジのような画質、性能の問題と思われた。しかし画素数が増え、ダイナミックレンジが向上し、少なくとも35ミリフィルムは凌駕する段階になっても、本質的な抵抗感は消えていない。巷のカメラ雑誌の表紙を見ればそれは明らかだ。そこにはデジタルにどうやって乗り換えるのか、みたいな特集が繰り返されていることがわかる。
ここでまず結論を言っておく。
デジタルに対する抵抗感の核心は、画質ではない。
それはむしろ記録メディアの方にある。
人間は物質化された記録があって安心する。記録メディアの「固定性」は無意識的な欲求なのだ。この点、フィルムは最もわかりやすい記録メディアである。冒頭の録音用カセットテープであっても、再生機器が必要であるが、目に見える仕掛の上に磁気量の多寡という感覚的に了解できる(物質とみなせる)レベルの記録が行われる。それに対してデジタルはメディアが高価であったこともあり、取り扱いが複雑である。物質である「メディア単位」でなく、論理的な「ファイル単位」の管理が要求される。これが直感的な取り扱いを拒むのだ。
ソニーが80年代初頭に発表し、15年ぐらい後に商品化したフロッピー記録のMavicaというデジカメがあった。容量や記録スピードを考えれば今ではナンセンスな商品に思えるが、記録メディアがフロッピーディスクという物質として固定されることには大いに意味がある。そういえば対談の途中で小池くんが、「映像の分野では写真ほどデジタル化に抵抗はなかった」という発言をしていたことを思い出した。ビデオカメラは容量の問題もあって、デジタル化された後でも磁気テープを使っているじゃないか!つまり「メモリーカード」と『ファイル管理」こそがデジタル写真普及の最大のハードルになっているということだ。

佐藤淳一【カワウソ写真家】 [著者情報] 実はカワウソに限らない写真家。平成19年度宮城県芸術選奨受賞。主な著書に『恋する水門』(2007年/BNN新社)、『ドボク・サミット』(共著/2009年/武蔵野美術大学出版局)、『カワウソ』(2010年/東京書籍)他がある。展覧会は『ニーダーフィノウの鉄の骨』(2006年/Gallery Maki)、『アートみやぎ2007』(2007年/宮城県美術館)、『カワウソおもろいねん!』(2013年/海遊館)、『大都会の野生カワウソ』(2018年/埼玉こども動物自然公園)他、1995年より多数開催。雑誌『ワンダーJAPAN』、『土木技術』、スポーツ紙『東京スポーツ』で写真と文を連載。『タモリ倶楽部』(2008年/テレビ朝日)、『出没!アド街ック天国』(2012年/テレビ東京)等に出演。「生きることは、見ること」が信条。芸術と研究を足してサブカルで割った「リサーチ・エンタテインメントとしての写真」を専門とし、土木構造物と野生動物という、かけ離れたふたつの領域で仕事してきました。
