改訂版、高木惣吉著。岩波新書。日本がいちばんふくれていたとき云々と書いた以上、その背景はやはりちゃんと押さえておかなければ気持ちが悪い。著者は元海軍少将。この本は何と初版が昭和24年で、青版の12番だ。終戦から3年経って、世に現れる無数の戦争批判がほとんど「超越的批判」、つまり外の立場からそれを一括して否定する態度であったことを憂いた岩波の編集者が、内部を知る著者に戦争の進行過程の記述と、その都度の問題点に対する内部的な批判の必要性を請うた結果として、書かれたものであるという。異例とも思える4ページにもわたる編集者による「まえがき」には、このようにある。「恐らく、かかる批判のみが、情勢の変動によって動揺しない国民的確信を築きあげ、後になって或いは出現するかもしれない種々な曲説や誤解、今日なお国民の一部に残っているかもしれない誤った戦争観に対して、真の説得力をもつことができるだろう」(原文は旧字体)。要するに日本人はちっとも失敗から学ぼうとしないじゃないか、ダメだったら何でダメだったのかを検討するために、ちゃんとその資料を残して置こうじゃないか、というきわめて真当な出版人の意志が見て取れる。さすがは岩波である(今はどうだか知らないよ)。
内容はタイトル通り太平洋戦争における日本海軍の戦史であって、読んでそれほど面白いものではない。しかも「わが艦隊」「敵機動部隊」のような表現をあえて残してあるため(当時における立場を明確に残しつつ、今日においてはなんら敵対感情を含んでいないことを了解されたしとの編集者の注意書きはあるんだけどね)、次第に感情移入してしまって負け戦のミッドウェイ以降の記述には情けない気持ちがあふれてくる。特に意思決定の遅れや縦割り組織の弊害によってもたらされた作戦の失敗については、情けなさを通り越して怒りすらおぼえるのである。こんな組織の下に戦争に駆り出されたのでは、たまったものではない。
実を言うと、以前から戦史のアウトラインは大体知っているのだ。おたくな小学生だったわたしは、ラジオ少年をやる前は切手少年であり、そのまえは(あるいは同時期?)プラモデル少年だった(笑)。当時のプラモデル少年のあこがれはスーパーカーでもミニ4駆なんかでもなくて、日本の連合艦隊であり、ドイツの機甲師団なのだよ。むかしから説明書の好きなわたしは、プラモデルの説明書もなめるように読んでおり、その中の解説で「珊瑚海海戦」とか「アルデンヌの戦車戦」とか知り覚えたというわけ。今では考えられないことだが、戦後も70年代までの少年は、その遊技のためのアイテムの選択においては、けっこう軍国少年的であったと断言できる。アニメだって連合艦隊モノ(決断、というタイトルでした。絶対に再放送できないような内容)があったぐらいだしね。10代後半から20代のお兄さんたちが反戦デモを繰り返しているその同じ時空で、10歳未満の少年たちは割と軍国少年やってたりしたわけで、考えてみればかなり不思議な時代であった。
さてこの本、当然絶版なのだが最終的に1995年までは出ていたらしい。ということは今後も復刊する可能性はあるし、こういうものが絶版のまま、という国はやはり失敗から何も学ぼうとしない国だ、と言われても文句が言えないと思うのだ。