E.J.H.コーナー著・石井美樹子訳・中公新書。日本占領下のシンガポールで博物館、植物園を守り通したイギリス人の回想録。シンガポールの植物園のことをちょっと調べれば、必ずこの本にぶち当たるはず。それほど有名な本であり、新刊時(1982年)にタイトルを見た記憶がある。基本的に戦時中の美談という仕立てになっていて、学問の理想は国の違いを超えた連帯をもたらす、というエピソードに感動してしまってもかまわない。しかしちょっと気になった点がある。原著のタイトルは『The Marquis : A Tale of Shonan-to』なのだ。marquisとは侯爵の意で、具体的に言えば徳川19代の徳川義親侯爵のことだ。彼はかなり不思議な人で、貴族院議員で植物学者、北海道のお土産の熊の彫り物(!)を考案した人で、戦後は日本社会党の設立資金を出していたりする。当時侯爵はマライ軍政部最高顧問という立場でシンガポールに現れ、博物館と植物園の総長というポジションでこれらの施設を守った。その際に「敵性人」である著者らをかなり自由にさせて、日英の学者たちによる不思議なコミュニティが現出したのだという。
著者が語りたかったのは、おそらく徳川侯爵という個人だったのではないだろうか、という気がする。原著を読んでないので推察に過ぎないのだけれど、原著には徳川家の歴史や侯爵の生い立ちなどが含まれていたのが、翻訳時にばっさり落とされているそうだ。訳者によれば「日英両国の文化的土壌の相違」によって日本語版の性格を変えざるを得なかったとのことだが、いかにもありそうな話である。売れる本にするために内容をねじ曲げ、創作しろと迫った編集者もいたらしいことが訳者の後書きにも示されている。こうして中公新書として出版にこぎ着けたのは、かなり強力な方向性のねじ曲げを受け入れた結果なのだと察したい(当時の中公新書の編集者は戦時の日本人と西洋人が文化の違いを認識して云々、という型のエピソードが好きなんじゃないのか)。まあ結果的にこの話が埋もれることなく世に出たのだから、著者と訳者の目的は達したことになる。でも裏にさまざまな葛藤があったことを思うと複雑な気分になるよね。なにはともあれ、シンガポール植物園に行ってみたい。
『思い出の昭南博物館』
