『切手と戦争』

内藤陽介著、新潮選書。切手を通して昭和戦史を概観する、という内容なんだけど、かなり面白かった。単なる切手にまつわるエピソード、というのでなくて、それが実際に使われたもの(切手貼った封筒のことを切手業界ではカバーと呼んでますね)が資料として大量に示されている。野戦郵便局の消印やら検閲印やら開封した部分に貼る封緘やら各種の付箋やら、そういったものがぺたぺた押されたり貼られたカバーは、まさに歴史的出来事の物的証拠となってしまうのだ。切手が近代国家を遂行するためのひとつのメディアである、というのは知ってたつもりだけど、実は消印や各種のスタンプにもその役割があったらしい。「東亜解放」みたいなスローガンの入った日本の占領地局の消印や、「禦侮救国誓復失地」みたいな満州事変後の抗日スローガンの印とかを示されると、切手どころでなく郵便物そのものがメディアとして成立していたことがわかってくる。

わたしも小学生の頃、切手を集めていた。まあ1970年代の少年の趣味としてはきわめて真当なものだわな。まわりの少年たちはだいたいオリンピックなんかの記念切手やら国立公園シリーズみたいな派手めのものを買い揃えるような、メジャー方向へ行っていたように思う。しかしわたしはというと、「通常切手」を集めるのが好きだったのだ。つまり普通の郵便局で普通に売ってる、面白くも何ともない日常の切手。そう、地味好み(笑)。まず現行のやつをだいたい全部揃えると、次はちょっと前のを探し始める。ハガキが7円、封書が15円の頃に、親戚の家なんかに行くと5円のハガキや10円の封書用の切手がころがってたりするもので、そんなのをもらい集めていたわけだ。それがどんどんエスカレートしていくと、もっと前のやつが欲しくなる。すると出てくるんだわ、戦争中のやつが。考えてみれば当時は昭和40年代後半で、たったの25年さかのぼれば終戦の年になってしまう。親戚宅の引き出しをちょいとかき回せば、戦前戦中の封書の束のひとつやふたつ、簡単に見つかる。そして切手を集めることしか考えなかった普通の少年は、お目当ての切手の部分だけをせっせと切り取って、もらって帰るのだ。今になって、あの封筒にはどんな情報が残されていたのだったか、気になってきた。

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