昨日のつづき。
それで、電子スクリーンが横長に向かうのは、それが最終的に視覚を覆い隠すようなことを目指しているからだろう。つまりアイマスクというか、ゴーグルというか、とにかくそんなもので人間の全視覚を乗っ取り、別なイメージを脳に送り込もうという意図の現れ。視覚のヘッドフォン化。イメージとの一体感。
それに対して壁面は、イメージを一度、対象の側に押し戻して、それを再度、対象として見るというしちめんどくさい構造をしている。イメージをその由来である世界の側に押しとどめ、厳然たる主客の区別を維持しようという意図が、そこには見えてくる。視覚の環境化。イメージとの距離の確保。
「撮る」と「見せる」。
それぞれふたつの方向(デジタルとアナログというか、電子的と物質的というか)の組み合わせは4種類あって、今そのすべてが行われているわけだけど、それぞれの意味合いというのは違っていて、それぞれがそれなりに機能している。それをちょっと考えてみようか。