もう写真なんてものはないのだ。

36cea188.jpg毎日バカなことを書いているのできっとこいつはヒマなんだろうと思われているフシがあるので、そろそろまた仕事の話でも。先週書いた、「来年早々にとある県立美術館で行われる展示(まだないしょ)のプリント協力を某社(まだないしょ)にお願いする云々」の件。つまり営業活動だ(笑)。資産家でない人間が作家やるにはどうしても営業活動が必要になってくる。身もふたもない話をしてしまえば、自分のお金でどうしてもカバーできない分を企業から出してもらう、ということなのだが、日本の企業は基本的に宣伝効果の期待できないお金は絶対に出さない(最近ではさらに結果が数字で現わせることが求められたりする)ので、何とか互恵的な着地ポイントを探って交渉を繰り返すことになるのが基本だ。無名の新人作家を援助する企業が、その姿勢だけで社会的に評価される、なんていう極楽な風土ではないのでこれは仕方がない。自分がいまだに新人作家なのかどうか、という点は疑問だけど。

で、交渉というよりいろいろと業界世間話をする中で、「協力行為」対「効果」の話は置いておくとして、テクニカルな争点があらわになってきた。それは解像度の問題なんだな。

あたしは300万画素でA1サイズは可能だから(実績あり)、600万画素あればB0ぐらいまでは行けるんじゃないか、という話を持って行ったのだが、現場のディレクター氏はそりゃ絶対に無理だ、と言う。技術的に何とかするというようなレベル以下の問題で、とにかくデータのないところから絵は出ないよ、という主張。じゃあとにかく1枚出してみて考えましょう、というところまで何とか持ち込んで、一昨日のところは話が終った。

その後、1日考えてみた。ディレクター氏の言っている写真って何だろう。その会社は現在のプリントテクノロジーの一翼を担う主要な会社だ。プリンタ出力が印画紙出力を凌駕するようになったのはその会社のおかげだと言っても言い過ぎではないだろう。だから印画紙じゃないと写真じゃないよ、みたいなことを言う頑迷な連中とは真逆の立場の、先進的な側の人なのだ。プリンター出力でも写真だ、しかしその写真には解像度の縛りがある、というのが彼の主張であったと今になってははっきり理解できる。

たしかに、A4~A3判程度の大きさであれば、350ppi、つまり175線のオフセット印刷で必要とされる解像度は必要となってくるだろう。それはいくらあたしだってわかる。この大きさのイメージは手で持って目を近づけて見られることが多いからだ。しかしだいたいA2判を越えたあたりから、実は解像度というのはそれほど必要ではなくなってくるものなのだ。それは「引いて見る」ことになるため。A1判プリントを手で持って眺める、ということはあまりないし、そういうことをしても普通の内容のイメージであれば細部が過剰に見えるだけで、全体の情報は目に入らなくなる(ある種の写真作品はそういう「木を見て森を見ない」状態が視覚の愉悦をもたらすことがあるけどね)。しかしあたしが強く反論できなかったのは、たとえばA1なら何ppiあればいい、という数字的な目安をはっきりと認識していなかったからだろう。

じゃあ、大判プリントの最適解像度ってどのくらいなんだろう。いろいろググってたどり着いたのがこれ。

●「推奨画像解像度」MKSIGN
http://www.mksign.com/data/ph_reso_nr.html

出力屋さんのサイトなんだけど、最適画像解像度の求め方まで教えてくれていて親切。「要するに、A4など小さいサイズは、非常に近距離から全体が目に入ります。しかしサイズが大きくなるほど、出力物から距離をあけないと全体は見れません。その分、解像度は下げてしまっても問題ないということになります」とある。そうだそうだ、あたしの聞きたかったのはこの一言だ。他の出力屋さんではだいたい120ppiとか180ppiとか、適当にお茶を濁しているのだが、このお店はかなりプラクティカルな計算方法を示しながら、大判になればなるほど解像度は下げて良い、ということを積極的に言ってくれている。

この表によると、A1の最適解像度が165ppi。あたしの主張するA1で300万画素ってのは計算すると72ppiを切るのでこれはむちゃくちゃな話だったということがわかるんだけど(しかしよくやったよねあの展覧会)、B0の最低限解像度として示されてるのが75ppiなんで、まったくむちゃな話でもない、ということがわかるんですね。さて、ここでひとつ面白いことに気がつく。この領域の出力物は、写真とは呼ばずに「ポスター」と呼ばれていることだ。

同じ出力機(大判プリンタ)でA1を出力しても、解像度がだいたい180ppiぐらいのところに境界線があって、それより高解像度のものを写真と呼び、それより低解像度のものをポスターと呼ぶ。あたしたちは今、そういう状況の下で生きてるんだねぇ。そういう文脈では、もう写真と呼べる固有の物質的実体はなくなってしまっているのだな。プリンタ出力の写真ってのは、要するにIP電話みたいなもんなんだ。

で、肝心の「600万画素で見るに耐えるB0出力は可能か」という問題。あたし的には、解像度的には不足だけど、全くナンセンスな話でもないんじゃないか、という結論に達しました。技術的にやばい、論理的に適合してないという状況がかえって新しい表現を生み出したりする、っていうシナリオは嫌いではないので。寄って見れない展示にすりゃ解決、という奥の手もある(笑)。

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