トネ・キャナル・フラッドゲート

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今週の水門は、利根運河の運河水門。
先日、12年ぶりに行ってきた。

利根運河は、明治のお雇いオランダ人技師、ムルデルの指導で作られたもの。われらがデ・レイケも調査段階で関与しているといわれる。

利根運河は、簡単に言うと江戸川と利根川をつなぐ、船を通すための本物の開削運河である。その存在をはじめて知った時には、日本にそんな大陸のような運河が作られていたなんて!と思って鳥肌が立ったものである。運河で鳥肌。それってかなりの特異体質なんじゃないか。大丈夫か。とんだカミングアウトだ。

実際に現地に行けばわかるが、結構な高さのある台地状の土地を切り開いて運河が掘られている。12年前にはじめて訪ねた時、東武野田線の、その名も「運河」駅で降りてちょっと歩いたら、いきなり巨大な掘割に出くわしてびっくりしたものだ。コリントス運河かよ、と思った。


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コリントス運河(by Alterego)

ほんとの利根運河は上の写真の8割5分引きぐらいな感じですか。でも、もっともっとちゃらい水路を想像していたので、思いっきり裏切られた気がした。こんな本格的な運河を掘ってたなんて、やる時はやるじゃないかムルデル~。そして運河駅から出発して、利根川側の出口まで歩き、最後に出くわしたのが、この運河水門だった。

実は当時、水門の知識などほとんどなかったので、これは偶然の遭遇、運命的な出会いと言えるだろう。そのとき抱えていたのが8×10インチのピンホールカメラ。それで撮影したはじめての大型水門が、この水門である。だから自分的にかなり由緒正しい水門である。すべてはこの水門からはじまった。その証拠に水門サイトの収録No.0001は、この運河水門になってる。

その後、筑波エクスプレスが開業して運河水門の近くを通っていることがわかったので、今回は「柏たなか」という謎な駅で降りて、歩いて行って見た。結構遠かった。というか、全くの田園地帯にいきなり高架線と新幹線みたいな駅ができてしまい、付近の道路がぐちゃぐちゃに変貌していて、余計な距離を歩かせられたからであった。ま、基本的に歩いて楽しい土地柄ではない。歩くならちょっと距離はあるけど、やっぱり運河駅からがいいと思う。

コメント

  1. 猫が好き♪ より:

     いやー。何を血迷ったか、最初からこのWeblogを1ページづつ読んでみたりしてるんすよね。すでに500ページくらい眺めたか。デ・レーケの記事も見た。パインアメの記事も見た。なかなかカワウソが出てこないなあというのが率直な印象。んで、いちいちコメントしてたらえらいこっちゃになるので自粛してたんですが、もうがまんたまらん(=^_^;=)。
     利根運河の水門ですかー。
     今は利根川側に水門があるみたいですが、大昔は江戸川側にあったんですよねー(そもそも利根川側は付け替えが行われている)。さして近所じゃないんでおそらく一回しか行っておらず(そもそもなんであんなところに行ったのかがわからん。親に連れられて行ったんだろうか)、ガキんちょだったのでおぼろげな記憶しかないんですが、その水門跡を見たような記憶があります。
     きっちり閘門の跡っていうか、二重水門がありました。木造の観音開きの扉で、軸のところには鋳物によるラチェットみたいな開閉具がありました。当時はそれが何なのかよくわからなかったんですが、閘門だったものの遺跡に間違いないです。今にして思えば記憶の中のあの水門ではたしてちゃんと水圧を受け止められたんだろうか、みたいな疑問もあったりします。でもまあ記憶の中でうすっぺらくなっているのかもしれません。
     いつあれが失われたのかはわかりません。利根運河を臨時導水路として整備したときあたりに撤去しちゃったんでしょうか。もったいない、残してあればあれはあれで史跡として末永く残す価値があるものとなっていただろうに。
     とまあ、失われた水門の不確かな記憶なんですが、まあこんなチャンスでもないとどこにも書くことはないだろう話なものですから。

  2. jsato@otterhaus より:

    >猫が好き♪さん
    こんな古いエントリにわざわざコメントありがとうございます。しかしまあ、すごいものの記憶をお持ちのようで・・・ちょっとびっくりしました。そんなものが残ってたのですね。

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