
目の前で建物が轟音とともに崩壊する、という現場に立ち合うことは今までになかった。身の危険がなければそれはまさにスペクタクル、見せ物であって、退屈な人生に添えられたワサビやショウガのような刺激物の役割をしてくれることだろう。
撮影のために方々ほっつき歩いていると、「死ぬかと思った」的なシチュエーションに遭遇することがないわけではない。夏に河原を歩いていれば、何も身を隠すもののないところでごく近い雷鳴を聞くことはそんなに珍しいことでもなく、道路橋の下に逃げ込んだ途端に至近距離に落雷を見る、ということは海水浴でクラゲに刺されることと頻度的には大差ない。それはバイクでも転がしていれば一定量の生命の危機の可能性を引き受けなければならない、というのと同じ程度のリスクであって、犬も歩けば棒に当たる、という諺は常に両義的に具現化するということを考えれば、リスクは行動量に比例するという諦観的な理解の範囲内のものであろう。
その古い建物の横を通りすぎるとき、建物の長辺の壁の屋根に近い付近が少し膨らんでいたのをわたしの視覚は見逃さなかったが、それがその数秒後の現象の予兆になっていたとはその時点では全く気がつかなかった。その様子を撮るか撮らないかという一瞬の逡巡があった記憶があるけれど、光線状態やモチーフ、色彩の発現の具合その他、さまざまな要因を瞬時に判断した結果、わたしはそれを撮らずにその建物の真横をただ通り過ぎた。歩数にして1歩か2歩後、物がきしむ何とも形容しがたい音とともに何かが空中を接近する気配を感じて無意識に道の反対側まで飛び退いた。それを追ってきたものすごい土煙を真横からまともにかぶった。軽い音から重い音まで、あらゆる帯域を含んだ音(どっしゃーん、というフレーズを瞬時に1000人ぐらいが叫んだら近い音になるかもしれない)を聞いたようだが、その時点ではただもう驚愕して、何が起きたのか全く理解できなかった。土煙が薄まった数秒後に、さっき見た「膨らんだ壁」が完全に消滅していることと、それまで見えなかったその建物の中身(大きな木の樽が2列に並んでいた)が白日に晒されていることが認知された。何か連続音が鳴っているのだが何だかわからない。それが太い柱で押しつぶされた自動車のクラクションが鳴りっぱなしになってるものであることが理解できるようになった数十秒後には、土煙も収まり、人が集まり始めていた。石、木、金属、ガラス、土、そんなものが狭い道幅ほぼいっぱいに無秩序に重なりあって飛び散っていた。
1分もすれば事情はすべて飲み込めるもので、要は前の日にその街を襲った震度5強の地震が、古い味噌蔵を約30時間の時間差をもって押しつぶした、ということであるらしい。きっかけは地震だけど、その蔵は自壊したのだ、と言った方が自然だろう。いずれにせよわたしはかなりの偶然を拾ったことになる。そういう滅多にない状況に居合わせた偶然と、崩壊に巻き込まれずに済むぎりぎりの位置にいたことの二点においてだ。こういう場合、運がいいも悪いもありはしない。運が良けりゃそんな危険な建物の横をまさに崩壊の時刻に通り過ぎることもないだろうし、運が悪けりゃ破片が当たってケガのひとつも負ったかもしれない。運については全く判断不能。あえて言うなら悪運が強かったのだな、というような常套句で我慢するしかないだろう。とにかく身体には何事もなかったのだから、何らかの加護があったことは感謝せねばなるまい。
この事件でわかったことがいくつかあるが、その中で最も興味深いのは、建物の崩壊は、強烈な土煙を伴う、というどうでもいいような余計なことだった。これはその場に居合わさなければ体感できないものだろう。
【2026.1.30 追記】画像追加

佐藤淳一【カワウソ写真家】 [著者情報] 実はカワウソに限らない写真家。平成19年度宮城県芸術選奨受賞。主な著書に『恋する水門』(2007年/BNN新社)、『ドボク・サミット』(共著/2009年/武蔵野美術大学出版局)、『カワウソ』(2010年/東京書籍)他がある。展覧会は『ニーダーフィノウの鉄の骨』(2006年/Gallery Maki)、『アートみやぎ2007』(2007年/宮城県美術館)、『カワウソおもろいねん!』(2013年/海遊館)、『大都会の野生カワウソ』(2018年/埼玉こども動物自然公園)他、1995年より多数開催。雑誌『ワンダーJAPAN』、『土木技術』、スポーツ紙『東京スポーツ』で写真と文を連載。『タモリ倶楽部』(2008年/テレビ朝日)、『出没!アド街ック天国』(2012年/テレビ東京)等に出演。「生きることは、見ること」が信条。芸術と研究を足してサブカルで割った「リサーチ・エンタテインメントとしての写真」を専門とし、土木構造物と野生動物という、かけ離れたふたつの領域で仕事してきました。
