小林健二という巨人

浅草のギャラリー・エフ(www.gallery-ef.com)にて、6月5日まで。と言っても新作の個展というわけではないらしく、2回のトークショーとそれに付随するちょっとした展示であるようだ。作品が二つか三つとビデオ投影、それと道具や鉱石標本、著作などが、古い蔵を改造した不思議なギャラリーに並んでいた。

実はわたしが小林健二さんを知ったのは、「ぼくらの鉱石ラジオ」以降であり、それ以前の活動については彼のウェブサイトで公開されている範囲内でしか知らない。実作に至っては今回、初めて見たほどである。なにしろわたしが知ってからの小林さんの活動は、そのほとんどがなぜか東京をはずす形で行われており、ちょっとつかまえにくい作家という位置にあったのだ。

近年の小林作品の凄みというのは、科学と美術の境界が完全に取り払われているという、その一点に結晶しているように思う。そのスタート付近から、彼の作品は物質に対する他に例を見ないほどの強靱なこだわりを見せていたことが作品集などからうかがえるのだが、そのモチーフがラジオやガイガーカウンターなどの、いわゆる工学の分野と接触しだしたあたりからは、独創の度合いが急激に上昇してしまった。天体だの鉱物だのというモチーフを、形而上的な扱いにとどまった形で作品化するのであれば、それは文学で十分なのだ。しかしもしそれが個人の手技による、中身を持った造形、機能を持ったオブジェクトとして制作されれば、それはきわめて独創的な行為となる。鉱石ラジオのすべての部品を手で作ってしまうアーティスト、と言ってしまえば簡単だけど、もうその事実が開示された段階では、技術者とかアーティストとかいう区分は意味を失ってしまっているのだ。その地平に立ってわたしは、途方に暮れるしかない。自分の絶対に到達できない峰の上に、すでに到達している存在がいる。小林健二という巨人が、はるか先の方で、誰にもまねのできない仕事にひたすら邁進しているのだ。工学部と美大を出たわたしは、ほんとうに、降参するしかない。二つの分かたれたものを統合的、横断的に扱うなどというレベルの話ではない。近代以前はもともとそれらは一緒だったんだから、などと口で言ったところで何も始まらない。少年時代まで戻る、というよりは、どこかが少年のままになっていなければ、どうにもこうにも成し得ない行為なのだ。

カフェには彼の今までの媒体での露出がファイリングされたものが置いてあった。分厚いファイルで6冊に80年代から最近までの膨大な量だ。それ以外に画集や詩集、作品集を含めて、2時間半かけてすべてに目を通し、斜め読みさせてもらった。言葉にならない想いがわき上がってくる。ということは何らかのエネルギーが伝わってきたということなのだろうか。

ギャラリーを出ると光が強いのに風が冷たかった。何だか高緯度地方の初夏という雰囲気だった。

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