白く凍った空気

WorksのAir5に、「Air : Exposure」なる枝番のシリーズを追加収録しました。2004年の末にかけて行われたグループ展向けに制作されたデータを再編集したものです。露出をプラス側に2EVほどシフトすれば、明るい部分はすっとんでシャドウ部が適正露出になることぐらい、誰でもわかることです。そんな撮り方をした作品も別に珍しいものではありません。この撮り方は対象を選びます。何を撮っても成立するわけじゃない。しかしぴったりハマった時は、全く不自然さはなくなります。これもひとつの写真的現実、というやつなんですね。それは、まあいい。問題はなぜこのようなイメージが、クールで現代的に見えるのか。この種のイメージの特徴として言えるのは、陰影の忌避であり、色の忌避でしょう。あるいは情報量の忌避、力強さの忌避かもしれない。実感の忌避という見方もできる。いずれにせよ、何かからの逃避というベクトルは共通している。対象に迫らず、存在に対峙せず、引いた位置から傍観者たろうとする態度。しかしどこかで意味が発生してくれるのを期待しているような、小ずるさがある。つまりリアルな過剰さや正面対峙を避けて、傍観者を装いつつも意味の発生を期待する、という態度がクールで現代的に見えるのが、「今」のわれわれが立っている地点なのだ、ということ。そのような問題のある作品を、自分で再び公開しつつ同時に否定しているわけで、何ともバカみたいな話なんだけど、どうしてもこれは恥を承知で晒しておかねばならないと考えています。この先には何もない、と告げるネガティブな道しるべとして。空気が白く凍ってしまった状態は、ちゃんと提示しておかなければならないと考えるのです。

小賢しいヒネリのない、バカみたいにストレートな明晰さ。そういう状態にあこがれます。

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