三つの人名やら事物をナカグロ(・)でつないだらもう書名のようになってしまうのだけど、自分の中の価値の物差しを形成してくれたものが、みな頭文字がBである、という偶然が面白く思えてならない。
バッハに関してはまだ語るに足る何ものも持ちあわせていない。単に長いこと聴いてきたものだなあという感慨があるだけだ。この先もずっと聴き続けることになるのだろう。バッハと同じぐらい長く聴き続けているのがビートルズであり、なぜ何度聴いても飽きることがないのか、いまだに謎である。目先の音楽の興味がさまざまな方向へ向かうことがあっても、必ずここに戻ってくる。要するにフリダシみたいな地点なのだろう。
などと言いながら、アンソロジープロジェクトの映像版がDVD化されていることを最近まで知らなかったのだからいい加減なものである。ビートルズ好きではあるが決してマニアではないので、アンソロジーがVHSで発売された当時、その価格設定を見て「誰がこんな高いもん買うかい」と思ったものだ。CD屋に行ってもビートルズのとこ、普通は見ないでしょ。だからDVD化に気づくのが2年も遅れた(笑)。DVD5枚組で1万5千円ちょいという設定はまあ悪くないが、10時間以上にわたってソフトを見続けるための時間はなかなか取れないものである。音だけ聴くのであれば何か別のことをしながらでもよいが、映像を見る時に同時にできることといったら、そりゃ飲むことか食うことだけだ。しかも途中で邪魔が入るのはいやだ。つまり少なくともソフトの区切りの単位である90分間は、テレビの前に釘付けにならなくちゃいけない。で、ぽつりぽつりと2週間かけてようやく昨晩、見終わったのだった。
ここで間抜けな感想を書いても仕方がないわけだが、とにかく前にどこかで聴いたか見たか読んだことが次々と出てきてもう頭がくらくらしてしまった。新事実、未発表音源/映像ってものもないわけじゃないのだが、特に中期以降は全編にわたって既視感の固まり。偉大なる過去のトレース。もちろんそれでも目の方は釘付け状態で、この場面の映像を見るのは中学の時に映画館で見て以来だなあ、なんて考えると何やら泣けてくる。たとえばマジカルミステリーツアー。1967年に制作されたこのテレビ向け映画をわたしが映画館で見たのはたしか1977年、つまり10年後ってこと。そして今はその時点からさらに28年たってしまっている。時間を空間化したところでベルクソン爺に笑われるだけなのだけれど、そうやって指折り数えてみないことには気持ちが納得しない。中学生の頃の10年はほとんど永遠のように感じたものだが、今の10年は手ですくえるほどにコンパクトだ。14歳の10年は人生の71%だが、42歳の10年は24%にすぎない。42歳だって?ああ、わたしゃもうジョンレノンより年上になってしまっているじゃないか。生き続ける限り「10年」は短くなり、年齢の逆転すらひきおこしつつ、自分だけが老けていく。
このところバウハウスが気になって仕方がない。バウハウスといっても4ADにいたバンドじゃないからね。元祖ドイツのデザイン学校のバウハウスの話。人に話すとみんな、何で今さらバウハウスなの、というような顔をする。自分の受けたデザイン教育のシステムの源流にバウハウスのシステムがあったことは承知しているつもりだったのだけど、このところ興味や価値感が一回りしたのか、原点に戻ってそれをしっかり確かめてみたい気持ちが強くなっている。すでに当たり前のものとして見聞きしあこがれ、そして教え込まれたモダンデザインは、なんとなく自然発生的に出現したわけではなく、グロピウスやモホリ=ナギという突出した存在が既成の価値を破壊することによって姿を現わしたことは、わたしがここで説明するまでもないよね。わたしの関心はなぜ彼らがその破壊を行うことができたのか、という一点にある。