Vintage article series: jsato.org | talk 20040315 – 20041027

花花緑緑の時に書いた文、消しちゃったのでこっちにコピーしとく。
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先月、41歳になった。この年代だと、よほど裕福な家に生まれているのでない限り、生まれた時に家にテレビは無いはずだ。もちろんわたしの家にもテレビはなかった。しかし幸か不幸か、ものごころついたころにそれは現れる。モノクロテレビとの出会い。まだ小学校前のはな垂れガキはモノクロで描かれた未来に夢中になり[鉄腕アトム]、モノクロの闇に心奪われた[ゲゲゲの鬼太郎]。そしてわずか数年後にそのテレビは一回り大きな、色の付いた画像を見せてくれる機械と交代することになる。1970年代のはじまり、三波春夫の万博音頭に乗ってカラーテレビがうちにもやって来た。
しかし、テレビに色が付いたことは、小学坊主にとって劇的なインパクトを与えたわけでも何でもなかった。それはごくごく当たり前のもののように見えた。何だか今までのモノクロテレビの方が何か特別なデバイスで、カラーテレビこそがテレビ本来のあるべき姿、というように見えたのだ。テレビ放送にしても全番組がカラーというわけではなく、カラーの番組が始まる時にはわざわざ「カラー」というマークが写し込まれていたし、重要度の低い番組はまたモノクロに戻るのだ。受像機がカラーなのに放送がモノクロ、というのは何とも情けなく、不思議な眺めだった。
天才バカボンやら仮面ライダーやらローラーゲームやら、何の役にも立たない番組で小学坊主を楽しませてくれたカラーテレビ受像機は、ある日、映らなくなった。修理人がやってきて、何やらいくつか部品を交換し、いろいろなツマミ(それにしてもあの頃のテレビには何でまたあんなにいっぱい、調整ツマミがついていたのだろう)をいじくって、調整をはじめた。ちょうどたまたまなんだろうが、料理番組をやっていて、皿に乗った生の肉が画面いっぱいに大写しになっていたときのこと、修理人が何かのツマミをいじったら赤い肉が突然、緑色に変わった。それを脇で見ていた小学坊主は、腰を抜かすほど驚いた。肉がうまそうな赤い肉の色に映ることには何も驚かなかったわたしは、それが緑色にもなりえることを知って、それこそ天地がひっくりかえるほどのショックを受けたのだった。
それ以来、カラーテレビを見るとそれが他所の家のものでも、赤い肉を緑色に変えるツマミを探し出しては、回した。大人には怒られた。なにしろカラーテレビは一家に一台の財産である。お天気おねえさんのお肌の色が緑色になっては困るのである。しかし怒られてもそれはしばらくの間、止められなかった(すぐに戻す術を覚えた、というのもある)。とにかく小学坊主のわたしは、ある時期ひたすらテレビの色を狂わせて喜んでいたのだ。
そんなくだらないことを思い出してしまった。肉をうまそうに撮ることにはやはり興味が持てないし、緑色の肉には、気持ち悪いと言いながらも惹かれるものがある。35年たっても、わたしは基本的に進化してないらしい。
【2026.01.30 追記】画像を追加

佐藤淳一【カワウソ写真家】 [著者情報] 実はカワウソに限らない写真家。平成19年度宮城県芸術選奨受賞。主な著書に『恋する水門』(2007年/BNN新社)、『ドボク・サミット』(共著/2009年/武蔵野美術大学出版局)、『カワウソ』(2010年/東京書籍)他がある。展覧会は『ニーダーフィノウの鉄の骨』(2006年/Gallery Maki)、『アートみやぎ2007』(2007年/宮城県美術館)、『カワウソおもろいねん!』(2013年/海遊館)、『大都会の野生カワウソ』(2018年/埼玉こども動物自然公園)他、1995年より多数開催。雑誌『ワンダーJAPAN』、『土木技術』、スポーツ紙『東京スポーツ』で写真と文を連載。『タモリ倶楽部』(2008年/テレビ朝日)、『出没!アド街ック天国』(2012年/テレビ東京)等に出演。芸術と研究を足してサブカルで割った「リサーチ・エンタテインメントとしての写真」を専門とし、土木構造物と野生動物という、かけ離れたふたつの領域で仕事してきました。
