200メートルの空気棒

Vintage article series: jsato.org | talk 20040315 – 20041027

夜、国分寺からオレンジ色の中央線の快速に乗り、三鷹で黄色い帯の入った総武線直通の各停に乗り換えることが多い。中央快速は朝の下りでも夜の上りでも、ほぼ常に混んでいる。日本でもかなり高収益な路線なのではないだろうか。つまり実際には100円ぐらいで十分やっていける路線に、われわれは200円ぐらい出して乗っているのではないか。余った100円はどこへ行くかというと、秋田の五能線とか岩手の岩泉線とか、そういうところの保線費用になったりするんだなきっと。鉄道が嫌いで仕方なく乗っている人は怒り出すかもしれないが、わたしはまあ悪くない話だと思っている。喜捨、じゃないけど一極集中のメリットを享受している者はそうでないところに少しぐらいお金を回しても損にはならない。どっかで回り回って戻ってくるような気がする。お金にルーズだとよく言われるけど(金離れがいい、という意味ではない。バランスを欠いているという意味だと思う)、お金にまつわるあれこれを考えるのが面倒なだけだ。お金という概念そのものが嫌いで、わざとめちゃくちゃになってるのかもしれない。

三鷹で乗り換える総武線直通の電車は新しい車両で、三鷹が始発であることから乗客は少ない。そのせいか車内はガランとした印象だ。椅子下など車内の出っ張りが少ないことや車体断面が膨らんでいることなどで、かなりスカスカな風情となる。この車両に変わってから、このスカスカ状態のときにしばしば風を感じるようになった。はじめはどこかの窓が開いているのだろうと思って、寒い季節などは閉めてやろうと車内を見まわすのだが、どこも堅く閉まっている。不思議に思ったけど詮索せずにいた。昨日の晩、ふと同じように風を感じ、窓が開いていないのを確かめてから風の強さと向きをよく観察してみた。かねてからの脳内仮説を確かめるためである。

この新型車両は、隣の車両との間の通路が広く、かつ締め切りのドアがない。つまり隣の車両との間に空気の流通があるのだ。つまり走行中は10両分約200メートルの空気の棒が、外部と切り離されて存在している。そこに車両が加速をすると、この閉じこめられた200メートルの空気の棒は移動を拒む。慣性の法則というやつだな。車体は加速するが空気は元の位置にとどまる。車体と一緒に移動しているわたしは移動しようとしない空気との間に摩擦の関係を持つことになり、体にはそれが風が吹いてくるように感じられるわけだ。

この当たり前の現象の判定にいまひとつ自信が持てなかったのだが、昨晩じっくり観察したことによって、この現象が減速時にも起きることがわかって、ようやくある確信を得ることができた。電車が駅にさしかかってスピードを下げた時に、今度は逆方向から風が吹いてくるのだ。ほー、これはよく考えると面白いことだぞ、と思った。

小学生の頃、宮城県の東北本線の槻木から出ている国鉄丸森線というのに乗り込んで驚いたことがある。1両立てのディーゼルカーの車体の前後のドアが開け放たれており、何とそいつはそのまま走り出したのである。真夏のことで、車内には過剰なほど涼風が吹き渡るという趣向であるが、今ではとても考えられないおおらかな天然冷房であった。この場合のディーゼルカーは車両というより、ひとつの筒である。

昨晩の総武線直通車はこれの密閉版と考えられる。一見、似たような現象なのだけれど実は大きな違いがある。丸森線の筒ディーゼルカーは減速した時にどうなるか。風は弱まることはあっても、逆から吹いてきたりはしない。それに対して密閉車両の空気の棒は、加速時には加速を拒みながらも徐々に車体に沿って加速し、すぐに車体と同じスピードで動くようになる。そして減速時には減速を拒んで元のスピードを維持しようとするわけだ。だから減速時に逆風が吹いてくることになる。

目に見えない物は無いことにして暮らしているが、空気はという物は確実に存在しており、われわれの生きている場にどうしようもないほどたっぷりと充填されているのだ。そして空気を通してのみ、われわれは見ることができる。

タイトルとURLをコピーしました