今日の朝刊に日本銀行の広告が出てましたね。偽札造りはやめましょう、作っても使っても三年以下の懲役、または無期懲役になります(違ったかな?うろおぼえ)。これほど人を舐めきった広告もないな。というか広告というものは基本的に消費者を舐めきっているわけだけど、日本銀行、という普段広告を打つ必要のないところが、昨今のプリンタ偽札の横行に業を煮やして打ってしまった広告だからこそ、広告の本質がべろん、と出てしまった。そういう滅多に見られないサンプルになっていたような気がする。どうして偽札を作ってはいけないのか、という肝心な点に触れてはいけないという、何かガイドラインのようなものでもあるのだろうか。みんなで偽札作ってホイホイ使ったら、貨幣をベースにした今の社会の根幹の根幹部分が崩れちゃうのよ、だから止めようぜって、ストレートになぜ言えない?どうして本当に必要な概念を表に出さずに、感覚という名の妙な広告言語だけで伝えようとする?
もう10年も前に「民間防衛」というタイトルの赤い本が出た。それはスイスの国民全員に配られているマニュアル本だったか、何かそんな本を翻訳したものだった。内容は忘れてしまったのだけど、最終章は驚くべきものだった。たしか、みんなでがんばっても力及ばず、最終的に外国に占領されてしまったとしても、決して自分たちがスイス国民であることを忘れずに、耐えて、反撃のチャンスを待ちましょう、といったようなことが淡々と書かれていた(これも実はうろおぼえ、申し訳ない)。つまり近代国家というものをどんどん削り落としていったとして、最後に残るのは何なのか、という問題。まさか財産ってことはないだろうと思ったが、どうやらスイスの場合は国土ですらなく、何か「わしらはスイスという共同体をやっているんだもんねという意識そのもの」みたいなものが最後に残るのだ、ということを思い知らされたのである。なんかそういう「大人な国家感覚」みたいなの、いいなあ。
同じ近代国家を名乗りながら、スイスと日本はおそらく全く別の団体に違いない。おそらくスイス人たちは、目の前に某社の高性能スキャナとプリンタがあったとしても、偽札は作らないだろうなと思った。もしやる時はそんな出来心的でちまい偽札なんか作らずに、確信犯的に本物と同じものちゃんと印刷で作っちゃうんだろうな。