ふと思い立って防湿庫の整理をする。35ミリカメラで撮っていた頃の主力であったニコンのF2、FE。友人から永久に借りているF。戦前型のライカや二眼レフ、フォクトレンダーの6×9なんてのまである。コニカのビッグミニはまだ電池が生きていて、ちゃんと今日の日付が出ていてちょっと不思議な気分になった。これらのカメラではそれぞれそれなりに写真を撮らせてもらったが、どれももう二度と使うことはないだろう(少なくとも自分では)。では何でわざわざ手元に置いてあるんだ?そりゃきっと一緒に旅をした記憶なんぞがまとわりついているからなんだろう。一緒に雪に埋もれたり、寝袋の中で抱きかかえて野宿したり、一緒にバイクでこけたり。それで結果的にどれもボロボロになっちゃってるから、たとえ売り飛ばしても二束三文なのだ。だったら使わなくとも手元に置いとけばいい、そんな程度の理由。もっともカメラ側の立場からすれば、動くうちはまだまだ仕事をしたいかもしれない。
タチハラの4×5を引っ張り出して組み立てる。こいつはもう3年以上、使っていない。一瞬、組み立て方を忘れているような気がしたが、いじっているうちに頭でなくて手の方がそれを思い出した。指が覚えている、というのは比喩ではなくて本当のことなのだ。蛇腹の目立つ、木製のフィールドカメラ。一般の人の目には100年前のアンティークと映るかもしれないが、現代のレンズを使って現代のフィルムに露光する限り、撮れるものはれっきとした現代の写真だ。そのあたりが自動車とカメラの違いなのだ。カメラというのは移動可能な小型暗室(暗箱)である、というのはデジタルになった今でも変わりはない。「携帯する暗さ」こそがカメラの本質であって、それ以外は単なる付属的な機能である。
そういえば、わたしはこの4×5カメラで撮った作品を一度も公開したことがない。鹿島臨海工業地帯や利根川の水門をある程度まとまった枚数、撮ってはいるのだが、それは撮っただけでほとんど誰にも見せていない。その理由が自分でもずっとわからなかった。しかし今では何となくわかる。大型カメラで撮った写真は、どれも同じスタイルになってしまうのだ。誤解を恐れずに極論すると、誰が撮っても同じ写真ができてしまう。もちろん使いこなすにはちょっとしたテクニックは必要だ。トレーニングなしに撮ることはできない、という点から言うと誰でも撮れるものではない。しかしそれは何か個性的な様式を引き出すようにわれわれを導いてくれるような種類のテクニックではない。カメラが要請するある種の規範に、撮影者を適応させるための強制力なのだ。だからどう撮るか、というところには独自性は発生しない。そのかわり何を撮るかというコンセプト面の問題が強調される。現代美術の文脈で大型カメラが使われてきたのもこの辺に理由があるんだろう(ちなみにここでは単なる客観性だの主観性だのといったレベルよりもう一段上のレベルを問題にしているのね、念のため)。
名前は失念したのだけれど、大型カメラのアオリ(レンズとフィルムの平行関係を制御する大型特有のテクニック)を逆手にとって、実物の町並みを模型のように描き出す写真家がいる。なかなか面白い写真でその着想に感心したんだけれど、アオリを逆手にとっているということはアオリという現象の中で勝負しているわけであり、このイメージも大型カメラの視覚マジックという特殊性に還元されてあっという間に消費されてしまいかねない。ストレートに撮ろうがそれを崩そうが、大型カメラによる写真は、いつもカメラの方が撮影者より前に出しゃばってくるんだ。
組み立てたタチハラを目の前にして、何枚か撮ってみようかという気になっている。しかしその写真は見せるための作品として撮るんじゃない。それは今自分が何をやりつつあるのかを計測してくれる、試験片のような役割を果たしてくれるんじゃないかという気がする。

佐藤淳一【カワウソ写真家】 [著者情報] 実はカワウソに限らない写真家。平成19年度宮城県芸術選奨受賞。主な著書に『恋する水門』(2007年/BNN新社)、『ドボク・サミット』(共著/2009年/武蔵野美術大学出版局)、『カワウソ』(2010年/東京書籍)他がある。展覧会は『ニーダーフィノウの鉄の骨』(2006年/Gallery Maki)、『アートみやぎ2007』(2007年/宮城県美術館)、『カワウソおもろいねん!』(2013年/海遊館)、『大都会の野生カワウソ』(2018年/埼玉こども動物自然公園)他、1995年より多数開催。雑誌『ワンダーJAPAN』、『土木技術』、スポーツ紙『東京スポーツ』で写真と文を連載。『タモリ倶楽部』(2008年/テレビ朝日)、『出没!アド街ック天国』(2012年/テレビ東京)等に出演。「生きることは、見ること」が信条。芸術と研究を足してサブカルで割った「リサーチ・エンタテインメントとしての写真」を専門とし、土木構造物と野生動物という、かけ離れたふたつの領域で仕事してきました。
