『ドイツ戦闘機開発者の戦い』

飯山幸伸著。光人社NF文庫。つまりあの戦記モノばっかりの文庫ですね。どんな田舎の小さな書店にも必ず新刊はころがっているけど、棚にストックはない、みたいな。だから老人向けの懐古雑誌みたいなもんかと思っていると、意外や同世代のライターの手になるものもあったりして、ちょっと気になる存在だったりするんだな。

自分の造形体験のコアの部分は、レゴもどきのダイアブロックだったり、いわゆる「食玩」のはしりとおぼしきキャラメルのおまけの熱帯魚だったり、内外の切手だったりするんだけど、実はその中にドイツの兵器というアブナイ領域がプラモデルを通して形成されていて、それが造形的なカッコよさの物差しになってしまっている。戦争はダメじゃないかとかナチスは非道だぞとか、そういう倫理的な価値判断は後になってから発生するのであって、小学校低学年のガキにはそんな感覚はぜ~んぜんない。とにかくドイツの兵器はカッコいいのに、米英やソ連の兵器はなにゆえあんなにイモ臭いんだ?というような直覚的評価だけが、幼時体験として強固に造形感覚の下地になってしまっている。殺人の道具にカッコいいもイモ臭いもないもんだよな、などという人道的な見方ができるようになるのは、かなりオトナになってからなのだ。

ちょっと前にミュンヘンの「ドイツ博物館」に行ったときのこと。ひょっとしてあったら叫び出しそうで怖いな、と思っていたレアな兵器アイテムが、やはりちゃんと展示してあって、思わず押し殺した叫び声を上げてしまった。具体的に言うと3輪バイクの後輪がキャタピラになってる「ケッテンクラート」、それからメッサーシュミットのロケット戦闘機Me163、同じくジェット戦闘機のMe262。なんとこの三つ、同じ場所にまとめて展示してあるのである。よせばいいのにケッテンクラートの置いてあるまさにその上に、Me163とMe262が仲良く並んで吊られているんだわ。それが1分の1スケールのプラモデルでないことを確認するために、すりすりしてみたかったけれど、人がいっぱいいて立ち入り禁止のロープを越える勇気は出なかった。これ、タミヤやハセガワの妄想(笑)ではなくて、本当に作っていたのですね。ドイツってすごいですね、という素朴な感動で胸がいっぱいになってしまった。ちょっとそこのダンナ、昭和の10年代にジェット戦闘機ですよジェット戦闘機っ!これ、ほんとに飛んでたんですよ!平気な顔して通り過ぎてる場合じゃないでしょ(実はこれと似た場面にジャンルを越えて何度も遭遇した。ああおそるべしドイツ博物館。1日じゃあとても回りきれないドイツ博物館)。

毎度のことながら読書記録と称して自分の話になってしまうのだが、とにかくこんな飛行機が飛び出てくる1930、40年代のドイツの航空機業界というのは、エンジニアリングの巨大な渦のような凄まじい様相を呈していたのだ。その渦中におけるハインケル、メッサーシュミット(以上二人は設計者兼経営者)、クルト・タンク(フォッケウルフの設計者)の三人のエンジニアの設計家人生を描いたのがこの本。航空技術に限ったことでもないが、技術が成熟していく過程で急激な上昇カーブを描く短い時期というものがある。そのまっただ中で活躍した人間だけが残すことのできる粗削りな軌跡を、ここに示された飛行機のスタイリングのバリエーションの中から読み取ることができる。もっともこの本もちょっと粗削りな印象で、校正が不足かな、と思わせるところがあるのが残念。

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