新シリーズ、始めました。
「Ether」
イーサーネットのイーサーではありません。エーテルと読んでください。
イーサーもエーテルも、もともと同じ単語ですが、日本に入ってきた時期によって読み方が違い、示す概念も違っています。エーテルは化学物質にその名がありますが、かつて光の波(電磁波)を伝えると考えられていた媒質の名でもあります。波動が伝わるには必ず振動する物質が必要ですが、光や電波にはなぜかそれが必要ないのです。つまり光や電波は真空中でも伝わるのですね。今では常識とされているこの現象も、かつての物理学者にとっては納得のいくものではなく、彼らは光や電波はわれわれに検出できない未知なる何かが媒質となっているに違いないと考えました。それにエーテルという名を与えたのです。宇宙はエーテルで満たされている、と。しかし、エーテルの存在は19世紀のおわりにマイケルソンとモーリーの実験によって否定されることになります。光は媒質の中を進む単なる波でないことが判明し、光の速度は光源や観測者の速度によらず一定である、というにわかには信じられない原理が導入され、ご存知アインシュタインの相対論のパラダイムが始まります。そしてその上に、われわれの住み処である現代文明が成り立っているわけです。
エーテルの終焉は、絶対空間、絶対時間の終焉でもありました。世界(スケール的には宇宙、と書いた方がいいかな)のどこかに絶対に揺らがない柱でも軸でもいい、何かが立っていて、そこには世界のどこから見ても長さが変化することのない目盛りが振ってある。そして世界のどこからでも所要時間ゼロで読み取れる正確な時計が時を刻んでいる、という古典的な安心感のある世界像は、エーテルの否定から始まるパラダイムチェンジにより完全に崩壊したのでした。
エーテルというのは、なんとも面白い位置づけにある概念だと思います。