どこかで雨の写真が写っている感じ

●引越しとその前後のゴタゴタで習慣がすっかり狂ってしまい、このところずっと川へ行ってない。ちょうど梅雨で、いつも川の中にいるようなもんだし、まあいいか~なんて思いながらあちこちの写真サイトを見て回っていたら大変なことに気が付いた。何とWebには「季節」があるのである。いやいやこれじゃ読んでいる人は何のことやらさっぱりわからんな。詳しく書こう●どのサイトの写真も、ちゃんと梅雨(あるいは梅雨という季節)が写っているのである。ちゃんと更新を続けている日本国内の写真サイトなら、至極当り前の現象に違いない。あまりに真っ当すぎて、言葉で説明することすら不可能な気もする。では一体どうしてそんな当然を大変なことと感じたのだろう●リアルタイムで撮影~即~公開可能であるメディアということ。それが個人の手に入っているメディアであるということ。要するにそういうことどもがベースになってるんだけど、これを頭で理解していただけなら雨の写真を見ていちいち感動するには至らないぞ多分。じゃあこういうことか?Webというものが季節と同じレベルまで無意識領域へ浸透してきて、ついに「体感」の対象になった、ということ?まさかねえ●しかし待てよ、メディアの存在感(プレゼンス)が体感の領域まで降りてくるような感じ、というのはこれがはじめてではないような気がする。そうだ、ラジオだ。ラジオの放送の内容は頭で理解するけど、音質は体感だ。音色(つまり周波数特性)の違いは体感で受けるものなのだ(8年も前の話で恐縮ですが、これ [Broken Link : http://www.bunny.co.jp/jsato/mt/mt02radio.html] を参考にしてください)●どこかでラジオが鳴っている感じ、というのが今までWebというメディアでは感じられなかったような気がする。しかしさっき感じたのはまさにこれだった。どこかで雨の写真が写っている感じ、だ。どうもまだ説明がちょっと変だ(笑)。無理に名前を付けるとすれば、空気感とでも言えばよいのだろうか。

Vintage article seriesは、1997年から2004年まで、わたしの作品サイト上にあったログ的なコンテンツを、本ブログ『Das Otterhaus』に復刻的に再掲した記事群です。ブログなどCMSが普及する前の時代に手書きHTMLで日々追記されていた記事は、展覧会などのお知らせ、雑感、制作上の試行錯誤の記録などが混在しています。その多くは字数も少なく画像のサイズも小さく、今の基準からするとコンテンツとしての価値はありません。しかしこの年代にこのような記述があったという事実は残すべきであると判断し、ブログの基層としてのデータの蓄積を維持しています。[2026年5月]
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