紙って何だろう

Vintage article series: jsato.org | talk 20040315 – 20041027

個展が土曜に終った。プリントをすべてはがしてしまった白々しいギャラリーの壁はいつもながら虚しいものだが、同時に何か「清々した」といったような気分もわき上がってくる。画像とは所詮、紙切れ一枚なのだ。いや、紙切れ一枚の厚さもないのだ。

「写真用紙」という呪縛からちょっと離れてみようと思った。和紙のテクスチャの中にしみ込んだ画像は、思ったほど和風にもならず、軽い凹凸のある壁紙に液晶プロジェクタで投影している画像を見ているような気分にすらなった。紙の存在を「無いことにする」のではなく、強調してやる。その結果、画像の方も自分を主張しはじめる。紙の表層に仮定としての深みを作り出す印画紙由来の写真用紙とは、画像の立ち現れ方が根本的に違っている。それは紙の物質性に対するフェティッシュな感覚とは分離して語られ得るものだろう。画像が画像にすぎないことが切迫的に感得されるのは、緻密なプリントではなく案外こういうラフなものに対峙したときなのではないかと思えてくる。

だが一方で、そんなことはどうでもいいとも思っている。和紙上のインクジェットプリントに面白がれたのは、単に見慣れない雰囲気の画像が現れたというだけに過ぎないような気もする。紙による違いを強調して語るのならば、古新聞紙にでもプリントすればもっと過激な主張ができるだろう。そういう問題でもない。プリントの形成という問題よりも、紙という物質のあり方そのものが、今は不思議に思える。画像はその問題のはるかに上の方を、軽やかに逃げ去っていくのだ。

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