フリードリヒ・キットラーの主著。石光泰夫・石光輝子訳。筑摩書房、1999年(原著は1986)。
訳者あとがきに「ベンヤミン的な文学的イメージにむせかえるような文体」とあるけどたしかにそんな感じ。話題がクロスフェードで遷移していく複雑に入り組んだディスクールの流れは、波長が合ったときは高揚感をもたらしてくれるものだけど、波に乗り損なうともうとてもついて行けなくなる。それにしても、よくまあこんな難物を訳しおおせたものだと思う。とにかく、あらゆる歴史をシステム変遷の歴史として記述する、というキットラーのストラテジーには今さらながら大いに賛成、ということになる。
今回もまたドイツの博物館の話で恐縮なのだが、ドレスデンの市立技術博物館、というのに行ったことがある(この博物館の建物、かつての東ドイツのカメラであるペンタコンの本社だったのですよ。ここ行くとペンタコンのカメラに印されているあの変なロゴの正体を見ることができる!)。そこにはタイプライターの部屋があって、圧倒される量のタイプライターの展示がされているのだけれど、その中のひときわ異彩を放つモデルが記憶に残った。マリング・ハンセンのSchreibkugel (書く玉←超直訳・笑)と呼ばれるマシン。Kugelschreiberだったらそりゃボールペンのことだけど、このマリング・ハンセンは語順が逆なのであって、要は玉形のタイプライターなのだ。その姿といったらウニを半分に切って、トゲの先にそれぞれの文字のキーを付けた形を思い浮かべてください。そりゃ一体どんなタイプライターやねんと思った方は、この本の表紙を見てみてほしい。で、そのマリング・ハンセンはそもそも盲人向けに作られたものであり、タイプライター史的には進化の袋小路のひとつに過ぎない位置づけのものなのだが、あのニーチェが晩年に向かう頃、視力の衰えに抗して書くために試用したという話がこの本に出てきて驚いた。結局ニーチェのマリング・ハンセンは故障によって使われなくなるのだが、機械によって書くという経験から、彼の文体だけでなく書く行為そのものが変化していく。論証からアフォリズムへ、思索から言葉遊びへ、修辞から電報文体へ。以下、引用。
[「文具はわれわれが思考するさいにともに作業している」とニーチェは書いた。「技術はわれわれの歴史のうちに存在している」とハイデガーはいった。しかし一方はタイプライターについて、そのタイプライターを使って書いたのだが、他方は手書きの文字によってタイプライター一般を描写したにすぎない。それゆえ、みずからメディア技術を駆使して、哲学的にはスキャンダラスな断定をおこなったニーチェの方が、あらゆる価値の再評価を実践する役割を担うことになった。]
なーるほど。こりゃやっぱりニーチェ万歳だわ。