Vintage article series: Humdrum 19971020 – 19991231

●根本的な部分からの変革を行っている、つもり。たとえばこんな具合だ。Macintosh上でPhotoshopというコンピュータ写真処理のスタンダードを止めてみる。代わりにFreeBSD(もちろんこの場合Linuxでも全く構わない)上でGimp。フリーOSの上でフリーの画像処理ソフト。いや、あんまりフリー=タダ、ということを強調するのも意図に反するのであるが、要するに手間さえかければソフト自体のお代はタダ、というのが今のわたしの生活信条と完全に一致しているところでハマっている。つまりコマーシャリズム的な価値観から遠く離れたところで成立する芸術表現は、やはりコマーシャリズムから遠く離れた環境の下で制作されるのがふさわしいように思う。たとえば100万円の仕事をこなすためには10万円のソフトを買って使えば元はとれる、というようないわゆる従来のプロのやり方、というのを否定するつもりは毛頭ないのだが、今の自分はそういうやり方の仕事をしているわけでもない。だったら約10万円のPhotoshopを買うのはやはりふさわしくないだろう。うーん、考えていることを言葉にするのがとっても難しい。ものすごくぶっちゃけて言えば、ソフトウェアそのものに代価を支払うという構造は何だかちょっと古くさいぞ、ということをわたしは言いたいのかな???●ソフトウェアのあるべき姿、というのをずっと考えていた。もちろん自分で有用なフリーソフトを世に出したりするような才覚は持ち合わせておらず、何年か前に超マイナーな言語のフォントをいくつかリリースしたぐらいなので全く大きなことは言えない。でもその問題意識だけはずっと保持してきたつもりだ。いきなり極論。ソフトウェアに売り値段をつけるのはやはり本当に間違っている!●今、これを打っている環境はすべてフリーソフトだ。OSはFreeBSD、エディタはMule、カナ漢字変換はCanna。考えてみるとこれは凄いことだ。ある人のプログラミングの仕事がお金という資本主義的価値に換算されることがなく、それでもとにかくなぜだか仕事が成立しているということ。資本主義の理屈を超越した現象があちこちで起きているのだ。資本主義というシステムはこんなところから綻び出しているのだ●そんな時代に写真家という存在は一体、何ができるというのか。何を供給できるというのか。Webは金にならない、なんて資本主義べたべたなことばかり言っていていいのか?何か金儲け以上の仕事をやらないわけにはいかないだろうが!!


