Vintage article series: Humdrum 19971020 – 19991231
今週もわたしの写真画像の無断使用を1件発見してしまう。香港のサイト。これだけの勢いで見つかるというのは氷山の水面下の部分は相当大きいと見なければならん。今度の香港氏のケースは悪質なものでないだけにどのように咎めだてしようかと考えていると、あろうことか向こうからよろしくねメールが届く(!)。折り返し「おーおーこちとらぷろのあーちすとやねんからほんらいやったらかねとるねんどー。ほんでもしょうばいのねたにせんねんやったらしゃあないつかわしたるわ(だから画像の直下に作者の名前ぐらい入れなさいね)」的内容の返事を返す。わしの破壊英語でも意味が通じて一応手打ちとなった。しかし!この問題は根が深い。
web上で写真を衆目にさらしておる以上、転載は禁止ですなんて書いたところでしょせん抑止力は蚊の目玉程度のもんである。つまりやったもん勝ちだよこの世は、式なのがどうにも現状だ。しかも自由なサイバースペース!などと標榜し自由という概念を幼稚園児レベルの解釈で理解してweb上のすべての画像は作り手の意志に反して勝手に流通させていいなんてコンセプトらしきIPアドレスがURLの(それで身を隠しているつもりかね)パクリ画像展覧サイトなんてのがあって、さらにそれを喜んで眺める人々があまたいて、かくしてwebは今日もまためでたく三流メディアにとどまっておるのであります。しかし、写真を出す側も単に「転載禁止」と言っているだけではもはや済まされなくなるだろう。現行のwebというシステムがユーザ側に完璧な複製を許す以上、性善説にすがって作品の同一性を保持できるなんていう考えはあまりにも脆弱で危うい。テッドネルソン大先生のいにしへのXanaduシステムが備えている著作権コントロールシステムは今でも実現は難しそうだし、もとより何らかのシステムで解決できる類の問題でもなかろう。「自分の撮った写真画像はなぜ自分の所有物と言えるのか」という問題までさかのぼって考えると、最後には自分でもパクリ画像展覧サイトを主宰しなければならないような結論を導きだしてしまいそうだ。
しかしパクる側にも三分の魂があるなんてことは絶対に言いたくないぞ。パクリは認めない。なぜならパクリが正当化されてしまえば「パクられる→それはいやだ→じゃあ写真を見せない」式にホップステップジャンプで折角のワールドワイドなメディアが委縮壊滅してしまうではないか。自由というのは何をやっても許されるというわけではない、というちゃんと脳味噌使った倫理感覚がweb上でも持てない人は今後、ここでは人間であることを返上していただきたい。現実社会では人間ですがネット上ではゾウリムシやってます、なんてのもあっていいよこの際。それはいいとして、サイバースペース(この言い方ってなんか恥ずかしいものがあるんだわな)上での写真家は今後、自分の画像の再利用に関して明確な基準を用意して掲示する必要があるのだな。まずそのための一歩。自分の命懸けて撮って仕上げた写真が見ず知らずの他人様のページからひょっこり立ち現れる、あのスリルとサスペンスと怒りと驚きと冷や汗と脱力たっぷりの一瞬をあなたにもぜひ一度味わっていただきたい今日この頃。

佐藤淳一【カワウソ写真家】 [著者情報] 実はカワウソに限らない写真家。平成19年度宮城県芸術選奨受賞。主な著書に『恋する水門』(2007年/BNN新社)、『ドボク・サミット』(共著/2009年/武蔵野美術大学出版局)、『カワウソ』(2010年/東京書籍)他がある。展覧会は『ニーダーフィノウの鉄の骨』(2006年/Gallery Maki)、『アートみやぎ2007』(2007年/宮城県美術館)、『カワウソおもろいねん!』(2013年/海遊館)、『大都会の野生カワウソ』(2018年/埼玉こども動物自然公園)他、1995年より多数開催。雑誌『ワンダーJAPAN』、『土木技術』、スポーツ紙『東京スポーツ』で写真と文を連載。『タモリ倶楽部』(2008年/テレビ朝日)、『出没!アド街ック天国』(2012年/テレビ東京)等に出演。「生きることは、見ること」が信条。芸術と研究を足してサブカルで割った「リサーチ・エンタテインメントとしての写真」を専門とし、土木構造物と野生動物という、かけ離れたふたつの領域で仕事してきました。
