外側から見ると

●これまたふと思いついて、このページを別の環境(Windows95にInternetExplorer4.0)で、見てみた。結構ショックだった。およそ意図通りになっていない。特に文字組みだけで構成されているページの崩れは深刻だ。考えてみれば、このページをMacintoshにNetscapeという、作ったのと同じ環境で見てくれている人の比率の方が、実は少ないのだ。多くの人達が、わたしが「崩れてる!」とみなす状態を見てくれていたのかと思うと、ぞっとした。そして大変に申し分けない気持ちになった。今まで文字を画像で表わすことは極力避けてきたが、今後は少し考え直すことにする。別にWindowsとInternetExplorerが悪い、というわけでもない。解像度やフォントサイズの設定を詰めていけば、双方の「見え」はかなりのところまで近似する。しかし見てくれている人にそんなチューニングまで強要するわけにもいかないだろう。第一、制作者がスタンダードとしているのはどの「見え」なのかがわからない以上、チューニングのしようがない。何を言っているのだ、そんなのはこのメディアとつきあい出した3年前からわかっていたはずだろう。しかしどんな設定で見られても、崩れが最小限にとどまるような配慮が、データの軽さよりも優先される段階に来ている、ということをなかなか認めたくない気持ちがある。この反動のような気持ち、一時的にせよデザインという分野に身を置いていた人間が宿すべき思考とはみなされにくいかもしれない。デザインじゃないところから出発してデザインを経て、デザインじゃない別のところへと到達したつもりになっている人間の、ネジリアメみたいな思考のかたち。それにしても今回の例に限らず、「外側から見る」ということはなかなかに難しいものだ。

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