Vintage article series: CAXAPOB 20030111 – 20030923
なぜ、イメージには安定したイメージと不安定なイメージがあるのか。安定したイメージをもたらすのが制御の意志とすれば、不安定なイメージは単にその放棄を意味するのだろうか。これは上下反転や傾きの問題だけに限定されない。むしろ動いている対象を指し示すイメージが静止しているという事実自体が、実は大変な不安定さを孕んでいるのではないか。直接の視覚では静止した状態として見ることができないものをイメージとして現出させてしまえば、それは本来的に不可知のものであり、不可知のものとの対峙は少なくとも慣れるまでは安定性をもたらすとは思えない。要するに「止まって見える」というのは、本当はかなり気味の悪いものなのだ。しかしわれわれはそれに慣れてしまっている。気味の悪くない、飼いならされた静止画像を作り続けてきたからだ。それに抗してみることに興味がある。さまざまなレベルにおいて、「イメージの不安定さ」とは何かを考えてみたい。不安定とは、安定の反対概念ではない。安定という極、つまり峰を築いているその下の低山のまどろっこしい連なり。それはイメージという現象を支えている何か、に違いない。あるいは安定という上澄みの下にある、カオティックな混濁溶液かもしれない。イメージというものを後ろで支えるカオスに興味が湧いてきた。

