Air #116 をアップロード

Vintage article series: CAXAPOB 20030111 – 20030923

他人のケンカに反対することは誰でもできる。しかしその無関係と思っているケンカの、一方の当事者と運命共同体であるということを、われわれはちゃんと認識しているのだろうか。さらにもし自分が殴られたときにも、われわれは同じように、反対とはっきり言うことができるのだろうか。思考を停止した状態でとにかくやめろと叫んだところで、その後の状況を改善できる方策をわれわれは何も、持ち合わせていないのだ。もっと根源的なレベルで考え直さなければならないことが、あまりにも多すぎる。とりあえず反対しておいて日常に戻る、というような割り切った態度は、無関心であることとそれほど違いはない。とにかくやめろ、というのももちろん、問題を何も解決することはできない。痛いのはいやだ、というレベルのでの反戦の意思表示は、あまりに素朴すぎてお話にならない。そんな意見はどこへ持っていっても通用しない。この湿った地で写真を撮りながら、メディアの向こう側にある乾いた彼の地のことをただ思うだけの日。

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