Vintage article series: CAXAPOB 20030111 – 20030923
中途をはしょった強引なロジックの展開ではあるのだが、とにもかくにも人間は光と空気から空間を知覚しているということ。さらにはデカルト由来のマトリクス的な空間概念が現れたのも、結局は光と空気があったため、と言い切ってしまおう。Gibsonの生態学的視覚論の読解としてジャストミートはしていないものの、かなり近い線をかすっているのではないかと確信している。はじめに3次元空間マトリクスなんかがあったのでは断じてなく、空間概念はあくまで便宜的な仮の装置、知覚の解釈のための単なるツールにすぎないということだ。もっと言うと、われわれは「空間の中にいるという幻想」の下に生きているということだ。そして写真というシステムは、空間の幻想性を実証する仕事を負ってもよいのだ。3次元空間マトリクス的空間概念をいっそう強化するかのような、傲慢なそぶりのドイツ系の現代写真は、もういらない。現代が近代の末席であるのであればそれでもいい。でもそれは時代に即した本来的な意味の現代(ゲーゲンヴァルト)ではないだろう。さようなら3次元空間マトリクス。

