Vintage article series: jsato.org | talk 20040315 – 20041027
引っ越すことになった。今の住居には、5年間いたことになるのだが、5年前となんら変わらないことがたくさんある反面、劇的に変わったことを考え始めたら気が遠くなりそうになった。ネットワーク環境の話である。歳を取るにつれて1年間が短く感じられるとは年長者の誰しもが語ることでおそらく真実だろうと思っていたが、実際に自分の身に起こってみるとなかなか了解がしきれるものではない。老いの一丁目と揶揄されるのを承知で、今から5年前の話をする(笑)。
ここに越してきてすぐ、月額3万円以上払ってNTTに専用線を引いてもらった。専用線という言葉自体、すでに死語になりかけているので解説しておくが、要するに二加入者間の電話を「つなぎっぱなし」にする契約である。ネット一般化の黎明期には、プロバイダとの間にこの電話線を開設するのがサーバを運用するための必須のインフラであったのだ。たまたま当時、ネットワーク構築の仕事で糊口をしのいでいた関係で、ネットワーク技術の方は上級レベルだったのだ(今はもうダメ)。したがって何でも自分でやれた。もちろん当時からレンタルサーバは存在したし、いろいろトータルで費用を考えたら当時でもそっちの方が安かったと思う。しかし、なにしろわたしは自前でやってみたかったのだ。自分の専用線、自分のルータ、自分のサーバ、というのにあこがれたのだ。ヨーロッパに旅行中もサーバを動かしっぱなしにしておいて、旅先からログインしたりして喜んでいた。今思えば何とも他愛ない話である。
ところが5年後である今はどうだ。月に1000円も払えば何十メガというスピードで常時接続が当たり前になってしまった。専用線という特殊な接続の仕方をしなくとも、なし崩し的に事実上の「つなぎっぱなし」ができるようになってしまった。自前のサーバを立てようとすればもう少し高級な接続にしなければいけないものとは思うが、それでも月3万円はかからないだろう。まったく良い時代になったものである。わたしの専用線の方は、その良い時代になりかけた頃、今から2年前に止めた。その後は普通に常時接続して、ウェブサーバもレンタルに替えた。接続スピードは上がったし、旅行中にサーバを気にすることもなくなり、気が楽になった。時代がすごい速さで前に動いているのを認識したつもりだったが、何か寂しい感じがした。
以上の5年間の変化は、単なるコストの問題であるとずっと思っていたのだが、実はかなり普遍的な問題が隠れていることに今になって気がついた。それは表現とインフラ技術、の問題である。話をわかりやすくするために、絵画になぞらえてみよう。5年前であれば、油絵を描くというのは、まずフレームの木を切って枠に組み上げ、キャンバス地を張って下塗りをする、さらに絵の具を作るために顔料を砕いて擂ってオイルを混ぜ合て練り・・・などといったインフラとしての技術を伴った行為だった。それに対して現在は、キャンバスも絵の具もすでに出来合いのものがあり、それを買いそろえるだけで表現行為の準備が終ってしまう。今、技術と呼ばれるものはインフラ部分のそれではなく、一定の状態が整った上での、表層的な技術だけを意味するようになった。全部自前でやらなければいけないというのは、キャンバスがちゃんと作れなければ絵は歪むし、いい絵の具が練れなければいい色、いいマチエールは出ないことを意味する。つまりかつてはいい表現をするためにはインフラ技術が不可欠であるというように、クオリティは全体性の中に立ち現れるものだった。
表現におけるインフラ技術というのは、ある段階で切り捨てられるのだ。絵画のインフラ部分が切り離され、工業的に分業化することになった力は、おそらくモダニズムという波が引き起こした変化のひとつなのだろう。わたしは美術史の専門ではないのでこれは推測に過ぎない。あるいは表現史が主流である美術史の中で、技術史というのはちゃんと研究されていないのかもしれない(工学の中で技術史が不当に低い位置づけであるのと同じように)。芸術家と職人が概念として分離したことと連携しているのかもしれない。もっともこればっかりはわたしがいくら考えてもどうしようもない話で、誰か専門家の先生をつかまえて聞きまくるしかないだろう。
そういえば、わたしが以前から気になる作家というのは、表現を成立させている切り捨てられた根底技術に対してちゃんと始末をつけている人たちである。しかしウェブアートについては、今のところそういう作家はいないのではないか。どういうスタイルがそれなのかも、わからない。今からもう一度サーバを立てることに意味があるとも思えない。しかしわたしは、少なくとも表層技術をいじくり回すことには完全に飽きてしまっている。

