土曜午後のプリント作業

作品を制作するという行為を分解して(分解するべきではないのかもしれないけれど)考えてみると、枠を設定して、その枠の中を情報で満たしていく行為であるように思われる。だとすれば優れた作品を成立させるには、よく知られた枠の中に、新奇な情報を流し込むことが大切であり、流し込む材料と按配によって出来不出来が決定するのは、ヨウカン(羊羹)やプリンを作るのとあまり変わることがない。ちゃんとした型枠を用意して新鮮な材料を適切に処理すれば、自分なりのアレンジをした分がそのまま結果に反映する。ヨウカンの中に栗とか木の実の類を入れたりするのがアレンジだ。それは暴走してマツタケやカニを入れたりしない限り、みんなの支持が期待できるものだ。

アレンジの段階を越える作品の冒険は、まず材料の冒険から始まり、型枠の冒険があり、その両方を総合させた地点へと心ある作家たちをいざなう。イモや豆の代りにカボチャを使ってみたりする。直方体を止めて星形のヨウカンにしてみたりする。カボチャを使った星形のヨウカン。陳腐だけど、とりあえず冒険はしている。判断の基準は、食べてみたいかどうか、だ。

実は材料には材料なりの枠、というものが存在していることに気がつくだろう。ヨウカンにおける不可視の、潜在的な枠。イモや豆やカボチャやマクワウリ(ほんとにあるんです。そんなヨウカン)はOKだけど、魚のすり身を使えばそれはカマボコになるし、肉を使えばソーセージやパテになってしまう。だからヨウカンの材料にはデンプン系の根菜や実野菜や果物に限る、というような強固な枠があるのだ。椎茸ヨウカンやほうれん草ヨウカンというのは、あったとしてもおそらく成功していないだろうと思う。

それにくらべて型枠の方は、枠と呼んでいる割に自由度は高い。材質との関連で力学的に成立する形状である限り、どんな形のヨウカンでも作れる。レッサーパンダヨウカン、スペースシャトルヨウカン、東京タワーヨウカン、モリゾーキッコロヨウカン、何でも可能だし、一応どれも商品価値はありそうだ。何でもOKだから、何でも陳腐になるし、さらにうまくいった型枠はみんなが真似する。つまり型枠の新規性が出現しにくいことは、はじめからわかりきっている。場の構造的な性質なのだ。だからといって型枠の新規性への配慮はどうでもいいというわけではない。ヨウカン型ヨウカンでは何も新しいことをやったことにならないし、胃袋形ヨウカンや犬の糞型ヨウカンでは、食欲が湧かないからだ。

[ここまで書いて、ヨウカン型ヨウカンは造形的な意志から出現した形態ではなく、熱した材料を袋詰めにした後で固める、という工程の必然から成り立っているものであることを思い出した。おそらくわたしはチョコレートの話をするべきだったのだが、なぜか今日は頭からヨウカンが離れないのだ]

今、自分が作っている作品がどんなヨウカンなのか、立ち止まって考えてみるのはおそらくよいことだ。

コメント

  1. マクワウリ

    マクワウリマクワウリ(真桑瓜、英名:Oriental Melon)はメロンの一変種。ウリ科キュウリ属で学名は”Cucumis melo” var.”makuwa”。古くから日本で食用にされてきたため、アジウリ(味瓜)、ボンテンウリ(梵天瓜)、ミヤコウリ(都瓜)、アマウリ(甘瓜)、テンカ(甜瓜….

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