Vintage article series: jsato.org | talk 20040315 – 20041027
『デジタル写真』対『銀塩写真』
・・・という対立の枠組みは、実はないのだ、と言ってよいのではないか。あるいはすでに終ってしまった対立構造だ。では現在、われわれが直面している真の対立フレームとは一体、なになのか。
『ウェブ写真』対『ギャラリー展示/出版 写真』
・・・というのはどうだろうか。ギャラリー、あるいは写真集ベースの作家活動は、世に出るためになにか突飛なアイデアや、既存の価値観のあからさまな反転といった、ある種の突出が必須である。それがない限り、彼/彼女を世に出すための評論家、編集者、ギャラリスト、キュレーターといった人たちの目に作品が止まることがないからだ。まあそれは悪いことではないように思える。それが今まで表現を発達させてきたことだろう。
しかし、この制度の下では、表現は「制度下の差異」を追及するあまり、次第に枝分かれし、近親交配を繰り返し、しまいには奇形化することになるように思われる。あるいは写真表現の根幹を離れて、トリッキーでトリビアルな方法論だけが独り歩きを始めることになる。まあそれは仕方のないことだ。制度疲労のようなものかもしれない。
いまだ制度化してないウェブ写真は、この疲労状態を免れているのだ。もちろんこの先どうなるかはわからない。どうなればいいのかも、よくわからない。しかしとにかくまだ今は、開拓地で直球を投げ合っているような気分がする。
アイデアだけに頼った脆弱な写真作品でなく、息の長い、骨太な作品を作り出す作家は、今後はウェブから世に出て行くことになる。これはほぼ間違いないのではないか。
(ゼミweb展のラスト30分を眺めながら)

