Vintage article series: jsato.org | talk 20040315 – 20041027
クウ、と読む時の空の字は、特別な意味を指し示しているようだ。それが仏教思想の重要な要素のひとつであるからだろう。色即是空とは般若心経の一節だが、一般にそれは目に見え体に感じられるものは本当は実体などないのだ、というメッセージと解釈される。しかしこのときの空は、決してからっぽでむなしい、ということではない。われわれの意識を覆う言語による分別/分節の網を一度はぎ取ったとして、一切の区分けのない存在の全体が、そのままになってある状態、それこそが空であると言うらしい。ということは空に触れるというのは、必ずしも雲をつかむような話ではないことになる。世界を言語による理性越しに見て済ますのではなく、その根底にある存在そのものの凄みに肉薄してみようという試みなのだ。
・・・・・などと生かじりなことをゼミ展に向けて書いた。何で空(くう)なのか、仏教思想とゼミ展、いったい何の関係があるというのか。
直覚的に存在と対峙し、触れること。「これは何だ、あれは何だ」という段階を経ることなく、目の前の世界を受け止めること。そのためにはノーファインダーだってやるし上下逆だって気にならない。なぜならそこに「何が」写っているかなどには、もはやほとんど意味はないからだ。「何が写っているか」ではなく「何かが写っている」という事実。そこにこそイメージの存在価値が生まれ、また興味の対象になる。
「これは何、あれは何」というのは意識に巣くった言語の分別作用の産物であり、それを滅却することが空であるならば、このような写真に対する態度はまさに空に触れることにほかならない。
こういうことを話しているわたしをゼミの学生たちは「またわけのわかんないこと言ってる」と思っているようだ。そして彼/彼女らは、あるものは写真を避け、またあるものはなかなか写真を見せない。写真のゼミではないからこれは仕方がない。

佐藤淳一【カワウソ写真家】 [著者情報] 実はカワウソに限らない写真家。平成19年度宮城県芸術選奨受賞。主な著書に『恋する水門』(2007年/BNN新社)、『ドボク・サミット』(共著/2009年/武蔵野美術大学出版局)、『カワウソ』(2010年/東京書籍)他がある。展覧会は『ニーダーフィノウの鉄の骨』(2006年/Gallery Maki)、『アートみやぎ2007』(2007年/宮城県美術館)、『カワウソおもろいねん!』(2013年/海遊館)、『大都会の野生カワウソ』(2018年/埼玉こども動物自然公園)他、1995年より多数開催。雑誌『ワンダーJAPAN』、『土木技術』、スポーツ紙『東京スポーツ』で写真と文を連載。『タモリ倶楽部』(2008年/テレビ朝日)、『出没!アド街ック天国』(2012年/テレビ東京)等に出演。「生きることは、見ること」が信条。芸術と研究を足してサブカルで割った「リサーチ・エンタテインメントとしての写真」を専門とし、土木構造物と野生動物という、かけ離れたふたつの領域で仕事してきました。
