正しい花見

何の権威があって「正しい」なんて言えるのか、なんて突っ込まないでほしいのだ。ただこれが何となく正しいような気がしてならないので「正しい」と主張してみたい。花見の話である。

まず、人がいないこと。そのためには誰でも知ってる花見の名所ではなく、何の因果か桜の木が植わっている、というような曖昧な場所を発見することが肝要。次に参加者が日常的な顔ぶれでなく、できれば年ごとの変化が楽しめること。だから職場の同僚と、なんていうのは最悪で、そんな花見だったらしない方がいいのではないかと思う。さらにアプローチがほどほどに困難であること。日常の生活エリアから離れてるがだいたい2時間以内で到達でき、なおかつそんなところに一体何しに行くんだよ、というようなちょっと謎めいた場所がよろしい。

別にそういうポリシーが先にあって始めたわけでもないのだが、上記の要件を満たす花見の宴を今年も開催した(まったくもっておめでたいことではある)。もう6年続いている。場所は利根川畔の某所、大きな水門のたもと。その曖昧な場所はかつては公園として使われていたものだ。たしか5年ほど前には桜祭り町民カラオケ大会とやらも開かれていたような記憶がある。町民行事を名乗る割には参加者はせいぜい2、30人ほどであり、中には野良仕事の片手間なのかトラクターで乗りつけ一曲うなって帰るような手合もいて、そんなローカルムードの炸裂する片隅に他所者のわれわれも宴を張らせてもらっていた。カラオケがうるさくないこともなかったのだが、それはそれで妙な風情があってよかった。しかしいつの間にかその町内イベントはどこか別の場所に移ったらしく、数年来その場所はほとんどわれわれの貸し切りの状態になってしまっている。これではプライベートビーチならぬプライベート花見場である。ちょっと寂しいようなありがたいような、あるいはもったいないような気持ちで毎年、花を見せてもらっている。

Vintage article seriesは、1997年から2004年まで、わたしの作品サイト上にあったログ的なコンテンツを、本ブログ『Das Otterhaus』に復刻的に再掲した記事群です。ブログなどCMSが普及する前の時代に手書きHTMLで日々追記されていた記事は、展覧会などのお知らせ、雑感、制作上の試行錯誤の記録などが混在しています。その多くは字数も少なく画像のサイズも小さく、今の基準からするとコンテンツとしての価値はありません。しかしこの年代にこのような記述があったという事実は残すべきであると判断し、ブログの基層としてのデータの蓄積を維持しています。[2026年5月]
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