Vintage article series: Humdrum 19971020 – 19991231

いま都合3台のデジタルカメラを使っているのだが、その中でも[Days]プロジェクト [Broken Link : http://jsato.org/days/] のような日常の極みを捕らえるのに最適なのが、このCASIO QV-10であるように思っている。もう4年も前の、61380画素なんていう今では超々低解像度のデジタルカメラである。通常の感覚から言ったらこれはもう完全にお払い箱だろう。でも去年の暮れに新古品を見つけて買ったわたしは毎日持ち歩いて淡々と日付を撮るのに使っている。そもそも現在のデジタルカメラのフォーマットというかスタイリングというか、標準的なデジタルカメラの在り方のようなものを決定的にしたのがQV-10である。物理的な軽さは言うまでもなく、レスポンスの悪い今のメガピクセル機に比べて実にスカスカっと動く感じが今でもとっても新鮮である。そういえば発売直後に新しモノ好きのわたしの師匠が早速購入したのを触らせてもらったことを思い出した。何だか「シャッターを切るという行為」の敷居が思いっきり下がった感覚がしたことがちょっとした衝撃だった。どんなにフィルムを湯水のように使えるシチュエーションであっても、どんなに軽いシャッター軽いモータードライヴを備えているカメラであってもこうはシャッターが軽くはない。フィルムを使うカメラでは絶対に考えられない「シャッターを切るという行為」自体の軽さ。これは同じ軽さという尺度でも次元の違う尺度における軽さなのだと思った。さらに光学ファインダがない、という構成も新鮮だった。QV-10以降の機種がおしなべて光学ファインダを備えるようになったという現象は、単純に電池の消費を押さえるためと、LCDモニタの追従性が良くないことを従来型の技術でフォローすることのためだけを目的にしている。これはある種の退行と言ってもよいのだろう。電子的に記録されるものはやはり電子的に同時モニタされるべきなのは言うまでもない。撮ったつもりのものと実際に撮れたものが違っているのはモニタリングではないからだ。閑話休題。それにしても今QV-10を使うことは、カメラとは所詮は画像入力装置でしかないというドライ&クールな割り切りを再確認することに通じる。これは毎日、日付を撮るという行為が、生きるということは所詮、与えられた時間を消費して果てることでしかないことを毎日再認識することに通じるのと、ちょうどよいマッチングを構成してくれているように思う。

佐藤淳一【カワウソ写真家】 [著者情報] 実はカワウソに限らない写真家。平成19年度宮城県芸術選奨受賞。主な著書に『恋する水門』(2007年/BNN新社)、『ドボク・サミット』(共著/2009年/武蔵野美術大学出版局)、『カワウソ』(2010年/東京書籍)他がある。展覧会は『ニーダーフィノウの鉄の骨』(2006年/Gallery Maki)、『アートみやぎ2007』(2007年/宮城県美術館)、『カワウソおもろいねん!』(2013年/海遊館)、『大都会の野生カワウソ』(2018年/埼玉こども動物自然公園)他、1995年より多数開催。雑誌『ワンダーJAPAN』、『土木技術』、スポーツ紙『東京スポーツ』で写真と文を連載。『タモリ倶楽部』(2008年/テレビ朝日)、『出没!アド街ック天国』(2012年/テレビ東京)等に出演。「生きることは、見ること」が信条。芸術と研究を足してサブカルで割った「リサーチ・エンタテインメントとしての写真」を専門とし、土木構造物と野生動物という、かけ離れたふたつの領域で仕事してきました。
