Vintage article series: Humdrum 19971020 – 19991231
●何だか書きたいことがいろいろあってまとまらない。ちょっと時間ができたのをいいことに、Moon Ridersなど聴きながら撮影ノートを引っぱり出して眺めてみる。実は朝が弱いわたしはこの時期ツライ。というのも、撮影に出かけるのが遅くなると日照時間が足りなくなるのだ(笑)。この時期、誰が何と言おうと撮れるのは4時までである。日中の光はクリアーでとてもいいが、撮れるのはもう絶対に4時までなのである。去年のノートにも今年のノートにも「もっと早く行動を開始すること!4時には撮れなくなるぞ」などと教訓めいた文句が書いてあって笑える。で、撮影地点や露出データなどを書き込むノートの余白に撮影の時に考えたことなど、ごちゃごちゃ書き留めてあるのだが、しばしば書かれていて面白いのが「5時のサイレン」である。
この8年ほど自動車というものを所有していないわたしは、いつも撮影機材一切合財を背負って最寄りの駅から目指すポイントまでひたすら歩いている。行きは何も考えずただひたすら歩くわけだが、仕事を終えて陽が落ちて帰りの駅を目指す頃には余裕もできて、いろいろと考え事などしながら歩いていたりする。近頃わたしがうろうろする地域は、とりわけ河川の合流点が多い。河川は行政界、つまり県市町村の境になっているのが常であり、まあコンセプトどおり境界領域をうろうろすることになっているのである。この行政界というのがこれまた一筋縄では行かなくて、それが決定された時点での、つまり古い川の中央線が改修後にもそのまま生きていたりして、現状の地形から想像できないようなかなり入り組んだものになっているのだ。そんな地域を夕方、とぼとぼと歩いていて、5時になったとする。さあ、何が起きるか。一斉にありとあらゆる方向からサイレン、ミュージックサイレン、有線放送の類がぐちゃぐちゃに入り交じって聞こえてくるのである。おまけにそれに呼応する犬の遠吠えも。ぴぃんんんぽぉーーーんうーーうーーぐわんぐわんわおーーーんわおーーん。これがもし4つの行政地域の境界が接しているようなポイントだと(河川の合流点にはこのトポロジーがしばしばある)、約1分間の壮絶なポリフォニー大会が現前することになる。
ここでCDをカーネーションに替える。やはり『夜の煙突』は良い。で、そもそも、なぜ午後の5時を期して一斉に音響信号が発せられるのだろうか。工場の終業を告げる、児童生徒の帰宅を促す、などの理由が考えられるわけだが、いずれにせよ起源をたどれば全体主義的な目的に達すると見た。すごいよ、これは。今さら何なんだろう。どうして一斉に同じ時間に、ものごとを終えなければならないのでしょう。効率か。権力によるコントロールか。頭でわかっても、体が納得しない。いずれにせよわたしは、このような統制に従うことができないでいる。こういうのを不器用というのだろう。

