往花蓮

Vintage article series: jsato.org | talk 20040315 – 20041027

夜明け頃に台北を出た列車は、山を越え、海沿いの駅をひとつずつ停まりながら走った。ある駅では弁当売りがあらわれ、またある駅では熱帯性の鳥が鳴くのを聞いた。開け放した窓からは、海風がディーゼル機関車の排気煙と一緒になって流れ込んで来た。普通列車なので長く乗り通す者はおらず、人々が乗り込んでは誰もが二つ三つ先で降りていった。そんなことを何度も繰り返し、終点に着く頃には陽もすでに高く、月台(プラットフォーム)上のまばゆい日差しが午後の暑さを予感させた。列車の終点は花蓮という名の街で、今まで乗っていた青い客車の腰に下がった札に「往花蓮」とあるのに、降りた後になってから気がつくのであった。花蓮。蓮の花咲き乱れる街。はたしてそんな街がこの世にあるのだろうか。

花蓮車站(駅)は街はずれにあって、だだっぴろい駅前には黄色いタクシーの群れとオレンジ色のバスが止まって短い影を晒していた。土曜の昼めいた控えめの喧騒を抜け出し、街の中心とおぼしき方角へ向かって適当に歩き始める。土産物屋、食堂、旅館、檳榔売り。そんな雑多な店が立ち並ぶ一角を抜けたところで、いつしか道は川に沿うようになった。堤防をまたぎ越え、美崙渓という名の翡翠色に濁った川沿いに造られた小道に入り込む。こんな昼日中に川路を歩く酔狂者など一人もおらず、ただ黒い猫だけが目の前を横切って行くのであった。河原では目を射るような若緑の地の上を白い蝶と黒い蝶が舞い遊んでいる。そんなものを追いながら川を下れば対岸の家の庭には背の高い大王椰子が一本、赤紫色の燃え上がるような葉を持つ潅木を従えてそびえているのが見える。どこまで歩いても音のない道。人気のない民家の軒下にまじわり昼休みの校庭をかすめ、陰となり日向となり海へ向かう。

鉄橋をくぐったところが河口だった。美崙渓は太平洋へ注いだ。植物質の川の流れはここへ来て鉱物じみた無限の青の中に飲み込まれてぷっつりと途絶えた。その境には白い飛沫の帯が断続的に見え隠れするのであった。大きな貨物船が停泊する港を遠く左に見つつ、釣り人の脇を通って海岸段丘を攀じ登った。高さが増すにつれて海からの風が感じられた。

沖合100数十キロには与那国島が浮かんでいるはずだ。しかしいくら目を凝らしても日本の島影は見えず、水平線上には漁船とおぼしきかすかな船影と、海鳥の舞うのが黒い点となって散るのみであった。東屋に腰掛けて海を見続けた。水売りの女がスクーターであらわれ、目の前を徐行して過ぎる。隣の東屋には読書の女子学生、遠くに黒い犬を連れた老人。他に動くのは白い蝶だけ。いつしか眠気を覚えて意識の消え入るに身を任せた。

陽の角度が微妙に移り変わり、日差しの直射に暑さを感じて目が覚めた。白い蝶だけが海風に抗って舞い続けていた。

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