Vintage article series: Humdrum 19971020 – 19991231
●CRTが終わってから、いや正確に言うとやっている最中から、写真からの離脱ということを考えていた。自分がネットワークの上で展開していこうとしているアクションは、今までパッケージとして写真という概念をかぶせていたわけだが、よくよく考えるとそれがどうも様々な「足かせ」となっていることが見えてきたからだ。何だかよくわからないものを曝す時に、パッケージングは大切であることは間違いない。ただしある段階以上になったとき、パッケージを借りた了解がむしろ足を引っ張って、アクション自体がそれ以上先に行くことを妨げてしまうことがある。どうやらそういう局面にさしかかってきたと思われる●離脱は垂直方向に行われるのが常である。今までタブーとみなされてきたことをやってみる、ってことだ。しかし、それとてかなり危うい。たとえば、スティーグリッツに始まる現代写真、「ストレートフォト」で定義されたそれに異を唱えれば、それは写真という体制内での小規模な離脱に終わってしまう。さらに写真を完全に脱ぎ捨ててしまったとしても、その瞬間から視覚芸術という写真の外側の体制に包含されるだけである。それでは80年代以降の写真を使っていろいろなアーティストたちがやったのと、まだ同じ地平をうろうろしていることになる。この水平構造はおそらくここ数十年、ほとんど変化していないだろうと思う。そこからの垂直方向への離脱、これは極めてむずかしいように思える。でも誰かが必ずやっちゃうことだろう。それも今後数年以内に、だ。考えてみれば面白い時代に生まれたものである。


