Googleの社員食堂はタダで、お菓子や飲み物も食べ放題、飲み放題という話は有名だが、日本法人でもそうなのだった。画面中央左寄りにお菓子コーナーが見える。その奥にはボタンを押すだけで飲み物が出てくるGoogleマークの付いた自販機があって・・・という話ではなくて、Google マイマップ EXPOの授賞式に呼ばれて行ってきたのである。今や斯界の巨匠である住宅都市整理公団の大山総裁とごいっしょで、行ってみたらいきなりゲストコメンテーターということになっていた。こんなことになるんだったら、自分のマイマップをもっとちゃんとしとくんだったよ。
大山さんも書いてるが、とにかく受賞者のみなさんの年齢が高いことには驚いてしまった。リタイアして時間がいっぱいあるから、なんておっしゃっている方もいたけど、それはご謙遜というもの。単に時間がいっぱいあるだけじゃ人を引きつけるようなプレシャスなマップなんかできるはずもなく、つまりはこの手のコンテンツはアイデア以上に長年の蓄積がモノを言うのであって、そうなると若造であるわれわれは一発芸的なアイデア勝負に逃げざるを得なくなって苦しいことである。
受賞作品の一覧はこちら
いずれも力作ぞろいだ。
受賞作品の白熱したプレゼンテーションで時間が押してしまったりで、ちゃんとしたコメントができなかった。というわけで当日考えたことをここに書いておきたい。
いちばん深く考えさせられたこと。それはマッピングという行為の中に、ある大きな矛盾があって、みんなそれを不問にしたままマッピングしてんじゃん、ということなのだ。もちろん自分を含めて、だ。
まず今回の受賞作品のひとつ、fujita_sさんの作品を見ていただきたい。
とにかくハイクオリティなイラストレーションが圧巻である。でもそれ以上に注目したいのは、マッピングの考え方が他の大多数のマッパー(マッピングをする人を仮にこう呼んでおこう)と違っている点だ。fujita_sさんは単純に描いた対象そのものの位置をマッピングしているのではなく、それを描いた自分の立っていた位置をマッピングしている。位置を示すアイコンはデフォルトの「ピン」を使わずに、どの方向を向いて描いているのかを示すオリジナルのものを、場所ごとに細かく向きを変えて置いているのだ。凄いこだわりようである。
そう。わたしが今、問題にしたいのは、
「見る対象の位置」をマッピングするのか(客体のマッピング)。
「見ている自分の位置」をマッピングするのか(主体のマッピング)。
ということなのだ。
こんなふうに大上段に構えて書くと、何言ってんだおまえはとか言われるかもしれないが、実はここにマッピングという行為の根幹を揺るがす大きな差異が存在している。
いや違った。マッピング行為そのものはあんまり問題はない。マッピングと写真や絵画を組み合わせる時にポコンっと発生する問題ということだと思う。
昔、GoogleMapはおろかオンライン地図なんか影も形もなかった頃、わたしは国土地理院の地形図に、水門の撮影地点をマッピングしていたのだが、そのマッピングというのは「撮影した地点」であって水門の位置ではない。水門の位置は多くの場合、地形図に載っているからいちいち書き込む必要がなく、マーカーで目立たせるだけで十分である。むしろ記録されるべきは「どこからよく撮れるか」という情報の方である。
オンライン地図ができてまもない頃、地図の解像度がぜんぜんない(大縮尺であった)から、このふたつの位置は区別しなくとも問題がなかった。というか区別できなかった。しかし地図の解像度がどんどん上がってくると、もともと情報としては別の種類であるこの二つのマッピングは、区別して扱うことができるようになる。区別する必要がでてくるのだ。
自分では今までこの問題を忘れていた、というか棚上げにしていたのだけど、そこのところをテキトーにせずにちゃんと区別して扱っているマッパーの方がいた、ということにとても感動しました、ということがぜひ言いたかったんだけど。
【追記】
当日の様子がGoogle Japan Blogに出てますね。偉そうにコメントしててすまん。
マイマップ EXPO AWARD (授賞式)開催いたしました
コメント
鉄道雑誌や航空雑誌の撮影地ガイドはむかしから「どこからよく撮れるか」という情報になっていて、地図も「お立ち台」からの矢印で表示されていますね(笑)。
まあ、そりゃそうだわな。