2006.05.21
photo and text : Sato Jun Ichi
|
|
●目下、制作が進行中のテレビ番組のスタジオ収録の時に、「水門のいろいろ」を見せびらかす写真パネルを作って持ってこいとの指令が下った。水門サイトを始めて長いが、実はスタート直後の大量撮影時期(98年ごろ)は100万画素のデジタルカメラを使っていたのであって、その頃のデータはウェブ用なら何とかなるが、A3パネルに仕立ててくれ、なんてのはどう逆立ちしても無理なのだ。ほとんどの「いろいろ」は500万画素以降に撮影したものをプリントして間に合ったが、どうしてもひとつだけ気に入らない。マイターゲートだ。すなわち観音開き型のゲートなんだけど、そのいい写真がなかった。そもそもマイターゲートは構造物の背が低くて写真にならない。このサイトの主旨に反するが、どちらかというと撮影を敬遠したいタイプだ。やはり空中にゲートが浮かんだギロチン型でないとビジュアル的に盛り上がらない。それより何よりマイターゲートというのは現代日本ではあんまり多くは存在していない。ヨーロッパならむしろ主流の型なのに、なぜか日本では流行らなかった種類のゲートなのだ●なんだかんだで急遽日曜の撮影を挙行。わたしは原則的に晴れた日曜には撮影に出ない主義なんだけど(人出が多いからね)、そんなこと言ってられない。近場にあるマイターのひとつ、江戸川が利根川から分かれてスタートする地点にある関宿水閘門に向かう。本当は横利根川閘門の方がビッグでいいのだけど、佐原まで行くのは遠い。東京湾の運河にもマイターっぽいのがあるが片開きのスイングゲートだったり、過剰防護で接近不可能だったりするので除外。石巻の北上運河あたりの小振りなやつも魅力的なんだけど日帰りは無理。やはりここはまずとにかく関宿に行くしかないのだ、ということで東武動物公園駅で電車を降りたわけだな●バスを1本見送って、まず昼飯でも食おうと思って杉戸町の市街地を歩く。9年前にビールを飲んだ駅内のレストランは跡形もなくなっていた。とにかく公共交通機関で郊外に出かけると食事に困るようになってしまった。大都会を一歩出てしまうと、車に乗らないやつは人間扱いしてもらえんのだよこの国は。どうせこの街もろくな食事処はないのだろうなと思ったところでうなぎの看板が目に入る。見ると街を貫く大落古利根川のほとりに、うなぎを食わせる店がある。古い川沿いの古いうなぎ屋。これはまた完璧なセッティングが出現したものだ。迷わずのれんをくぐる●古い川沿いの古いうなぎ屋、といったらこのコラムでは8年前に北上川の登米にある川うなぎ「清川」の話をちょっとだけ書いた。その後、清川に行ってないからその後どうなっちゃたのかわからない。もう店をやめちゃったかもしれないし、大繁盛しているのかもしれない(最後に行った時は改装中だったので、そうあってほしい)。とにかくその清川に行って以来、川沿いのうなぎ屋は気になる存在だ。わたしは食にこだわるタイプではないので、何が何でも川沿いにうなぎ屋を発見するとうなぎが食いたくなるというわけではない。あるいくつかの特殊な条件が重なったときだけ、カネが鳴るのだ。というわけで古い川沿いの古いうなぎ屋。カネが鳴ったと思ってほしい●それで何とその「高橋屋」は、うなぎの天ぷらを食わせる店だった。すでに蒲焼きスイッチが入っていたのでうな重にしようと思ったが、名物を賞味せねば目の前の古利根川にも失礼に当たるだろう。というわけで気持ちをリセットしてうなぎ天を発注する。お通しでいきなり骨せんべいが出てくるのは気合いが入っているし、店にも人にも張りがあって気持ちいい。とにかくやる気のある店だ。一見グロテスクな骨せんべいをかじりながらお茶を飲む。これがなかなか悪くない。カルシウムが体中にしみわたるような感じがした。そして出現したうなぎ天は見た目は小振りなあなご天という風情だが、食べるとぜんぜん違う味がする(当たり前)。淡泊だがちゃんとしっかりうなぎの味がする。聞けば細身のうなぎを使っていて、独特のノウハウに基づいて揚げているらしい。そりゃあそうだろう。誰でも揚げられるんだったらそこいら中の天ぷら屋にうなぎ天が存在するはずだ。うなぎ天が珍しいのは調理に関して何か相当にやっかいな問題があると見ていい。それをめでたくもクリアしての高橋屋、うなぎ天なのだ。酒がほしくなったが、酔っぱらって撮影に行きたくなくなっちゃうと何のために出かけたのかわからなくなるので我慢し、うなぎ天3本でご飯を食べて終わりにした。店の奥は割烹のお座敷になってて、庭には町内随一の桜の木がある。ここでうな天食いながらの花見はさぞかしよかろうなあ●この段階で何だか満足してしまったのだけど、とにかくマイターゲートを撮りに行かねばということでバスに乗って関宿橋のたもとへ。そこから30分ほど江戸川の堤防上を歩けば関宿水閘門だ。日曜日の午後だけど、さすがの江戸川もこのへんまで来れば人出は多くない。5月の晴天の下を風に吹かれて堤防歩きを堪能しつつ現場着。ところがこの段階で、ここのマイターゲートは基本的に開きっぱなしであることを思い出した。開いた状態のマイターゲートほど、撮影に苦慮するゲートはないのだ。ゲートがすっぽりと壁面にしまい込まれてしまうため、ゲートを撮っても壁を撮っているようにしか見えない。つまりいったい何を撮っているのかわからなくなってしまう。しかも今必要とされているのはマイターゲートの説明用の写真なのだ。これはどうあがいてもどうにもならない。1時間ほどいろんな角度から撮ってみたものの、とうとうあきらめて撮影は止めにした。こんなことなら高橋屋で酒でも飲んでればよかったのだ。ますますマイターゲートが嫌いになったのであった。
|