風景に埋もれちゃってる・・・平久水門

2006.01.11

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photo and text : Sato Jun Ichi



標語が大書き・・・豊洲水門
●1998年以前にまわった都内の水門を再び歩きまわっている。汐浜運河に面した州崎南水門を撮影してから、平久水門にまわろうと西に歩き出して付近の雰囲気がずいぶん変わっているのに気がついた。フジクラの巨大な工場がすっかり無くなってしまって、入れ変わりにイトーヨーカドーの巨大なショッピングセンターができていた。汐浜運河には親水テラスみたいな遊歩道まで付けられている。以前は工業地帯まっただ中のほこりっぽい土地だったのに、何だかこざっぱりとしてしまっていた。まわりを見回すとここでも高層住宅の群れ。これだけ人が住んでいるのだから、なるほど巨大スーパーだって成立するわけだ。なにしろ他に商店は全くないような場所なのである。それにしても立て続けにこういう経験をすると、自分が写真を撮り続けていることの意味みたいなものをいやでも考えないわけにいかなくなる。もちろんそのために撮っているわけではないのだが、結果的に無くなってしまったものの姿が手元に残る。それでごちゃごちゃ考えたりセンチメンタルな気分になったりするわけなんだけど、とにかくそういうのってもうどうしようもない写真の本質であるということだ●さて平久水門。見ての通り古ぼけた水門なんだけどちょっと扉体を見てほしい。白い線が描かれていますね。一体これは何でしょう?●さっきの州崎南水門も平久水門も、かつては扉がオレンジ色に塗られていた。ウソだと思ったら展示室の2や3を見てきてください。ところがこれらの東京都建設局が管理する水門の扉体は、今はことごとくブルーに塗られている。あんまり鮮やかでないブルーだ。このことはくどくどと何度も書いている話なのだけど、最近何年かの間に、水門の扉体の色を目立たなくする動きがものすごい勢いで進んでいるのだ。何のためだろう? 水門のような武骨な存在は無粋で目障りだから、目立たなくして風景に溶け込ませてしまえ、と誰かが言ったか考えたかした結果なのだろうと思っている。彩度の低いブルーに塗ってしまえば、空や遠景に溶け込んで水門自体はかなり目立たなくなってしまうのだ。で、この平久水門の白い線、これって扉が降りている時に船が衝突しないように、注意喚起のために塗ったものなのではないかと推察できるのだけど、どうでしょう?●オレンジ色の時には白線はなかった → 塗色をブルーにした → 扉体が目立たなくなった → 船がぶつかるようになっちゃった → 白い線を入れてみた。つまりこういうことだったりしませんか? 結論から言うと、このブルーの塗色は間違っていると思う。水門の扉体はやはり目立たないと危険なのだ。水門の扉が降りているのは悪天候のときであり、その色が目立たないと船は誤って突っ込んでしまう確率が高くなる。危険なものが目立っていることは、看板の色が景観を壊すという話とは次元が違うのだ。たとえば京都のマクドナルドの看板は真っ赤でなくてえび茶色になっているけど、それと同じ考え方を危険物である水門の扉体にそのまま適用するべきではない、と思う●あるいは新住民が役所に文句をつけたのかな、ということも考えられますね。どこかで外壁が真黄色のビルが建っちゃって周囲に住んでいる人たちが色を変えろという反対運動を起こしたことがあったけど、水門の横に新しく立ったマンションの住民が、窓を開けると目に入る景色の何割かが真っ赤だのオレンジだのではいやだから、目立たない色にしろという運動でも起こした結果なのかもしれない。もともと水門のあるような場所は、土地としては少々クリティカルなところじゃないの? 個人の好き好きだから水門の隣なんかに住むなよ、とは言わないにしても、前からあったものの色を自分の気分で変えさせるというのは(もしそういうことがあったのだとしたら、だけど)よくないと思う。水門がなければ水浸しになっちゃう低い土地に住んでいるんだということを、そこに住んでいる人たちは日頃から忘れるべきではないのだ。そういう面から考えても、ぜったいに水門は目立っている必要がある●一方、同じ東京都でも港湾局が管理している水門は、黄緑色に塗られている(わたしはこの色を勝手にケロケログリーンと呼んでいたりする。そういう感じの緑色だ)。この色は悪くないと思う。適度に主張があるし、赤ほどではないにしても船に対する警戒効果もあるに違いない。同じ東京都でもセクションによっていろいろと違いが出るもんですね。それにしてもでかでかと、しかも筆文字で標語を書かなくともいいと思うんだけどなあ。やっぱり港湾系は演歌の世界なのか。