<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	
	>
<channel>
	<title>
	写真表現の自覚 へのコメント	</title>
	<atom:link href="https://kohan-studio.com/otterhaus/archives/50753078.html/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>https://kohan-studio.com/otterhaus/archives/50753078.html</link>
	<description>【カワウソ舎】来し方二十有余年、あと何回カワウソ撮れるかな</description>
	<lastBuildDate>Sun, 01 Apr 2007 08:59:12 +0000</lastBuildDate>
	<sy:updatePeriod>
	hourly	</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>
	1	</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=7.0</generator>
	<item>
		<title>
		小林のりお より		</title>
		<link>https://kohan-studio.com/otterhaus/archives/50753078.html#comment-18</link>

		<dc:creator><![CDATA[小林のりお]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 01 Apr 2007 08:59:12 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">https://kohan-studio.com/otterhaus/archives/50753078.html#comment-18</guid>

					<description><![CDATA[「効率や利便性などの人間的理由のために・・・」と畠山さんは言うけれど、地球上の生物や植物だって効率や利便性を求めて進化してきたとも言えるのでは・・・。自然って利己主義なんですよ、きっと。
それはともかく、畠山さんとは昔、一緒に写真展やったり同じ道を歩いてきたという想いがあるのですが、気がついたらいつのまにか違う道を歩いていたと・・・。僕は彼ほど「写真」というよりは「美術」を信じていないから、デジタルで結構と思いますけどね。「故郷」なんか捨てちまえばいいのですよ。忘却の写真論ですよ。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「効率や利便性などの人間的理由のために・・・」と畠山さんは言うけれど、地球上の生物や植物だって効率や利便性を求めて進化してきたとも言えるのでは・・・。自然って利己主義なんですよ、きっと。<br />
それはともかく、畠山さんとは昔、一緒に写真展やったり同じ道を歩いてきたという想いがあるのですが、気がついたらいつのまにか違う道を歩いていたと・・・。僕は彼ほど「写真」というよりは「美術」を信じていないから、デジタルで結構と思いますけどね。「故郷」なんか捨てちまえばいいのですよ。忘却の写真論ですよ。</p>
]]></content:encoded>
		
			</item>
		<item>
		<title>
		oshima より		</title>
		<link>https://kohan-studio.com/otterhaus/archives/50753078.html#comment-17</link>

		<dc:creator><![CDATA[oshima]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 31 Mar 2007 07:55:50 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">https://kohan-studio.com/otterhaus/archives/50753078.html#comment-17</guid>

					<description><![CDATA[すみません。手違いで、同じようなコメントを二度もしてしまいました。デジタル＝反・エコ、反・ナチュラル、工業的、資本主義的……。ケミカル＝エコ的、ナチュラル、ヒューマン、反資本主義……みたいな図式が根強くあるのではないでしょうか（笑）。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>すみません。手違いで、同じようなコメントを二度もしてしまいました。デジタル＝反・エコ、反・ナチュラル、工業的、資本主義的……。ケミカル＝エコ的、ナチュラル、ヒューマン、反資本主義……みたいな図式が根強くあるのではないでしょうか（笑）。</p>
]]></content:encoded>
		
			</item>
		<item>
		<title>
		jsato より		</title>
		<link>https://kohan-studio.com/otterhaus/archives/50753078.html#comment-16</link>

		<dc:creator><![CDATA[jsato]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 30 Mar 2007 14:08:17 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">https://kohan-studio.com/otterhaus/archives/50753078.html#comment-16</guid>

					<description><![CDATA[大嶋さん、こんばんは。
捏造云々を糾弾する、なんて気はさらさらなくて、ただただ疑問に思っているのが、なぜあの世代の多くの写真家たちが、デジタルに対して冷酷な態度を取り続けているのか、ということなんですよ。そんなに冷たくしないでもいいじゃないですか、と言いたくなっちゃう。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>大嶋さん、こんばんは。<br />
捏造云々を糾弾する、なんて気はさらさらなくて、ただただ疑問に思っているのが、なぜあの世代の多くの写真家たちが、デジタルに対して冷酷な態度を取り続けているのか、ということなんですよ。そんなに冷たくしないでもいいじゃないですか、と言いたくなっちゃう。</p>
]]></content:encoded>
		
			</item>
		<item>
		<title>
		Oshima より		</title>
		<link>https://kohan-studio.com/otterhaus/archives/50753078.html#comment-15</link>

		<dc:creator><![CDATA[Oshima]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 29 Mar 2007 05:02:57 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">https://kohan-studio.com/otterhaus/archives/50753078.html#comment-15</guid>

					<description><![CDATA[畠山、お前もか。何だか、畠山直哉の写真に対するスタンスは、ホリエモンを批判する人たちのスタンスと一緒ですね。「資本主義」あるいは「市場主義」をもっとヒューマンなものにしなければならない、みたいな。そもそも「資本主義や「市場主義」自体が、非・ヒューマンなものなのに。写真はすでにして「テクノ画像」なのに、畠山は写真を「自然」化しようとしています。「起源の捏造」ですね。タルボットの「自然の鉛筆」に対しても、「自然」の解釈にあきらかに誤解があります。「鉛筆」は絵画コードを意味するとしても、「自然」はけっして「自然性」を意味するわけではなく、「人間の意志」を排除した「機械的な直接性や自動性」を意味するわけです。そう解釈しないと、写真の歴史的な意味を誤解・捏造することになります。「人間がつくりだす線」に対して、自然がつくりだす線＝ケミカル写真なんて、あまりにも反動的な見方ですね（笑）。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>畠山、お前もか。何だか、畠山直哉の写真に対するスタンスは、ホリエモンを批判する人たちのスタンスと一緒ですね。「資本主義」あるいは「市場主義」をもっとヒューマンなものにしなければならない、みたいな。そもそも「資本主義や「市場主義」自体が、非・ヒューマンなものなのに。写真はすでにして「テクノ画像」なのに、畠山は写真を「自然」化しようとしています。「起源の捏造」ですね。タルボットの「自然の鉛筆」に対しても、「自然」の解釈にあきらかに誤解があります。「鉛筆」は絵画コードを意味するとしても、「自然」はけっして「自然性」を意味するわけではなく、「人間の意志」を排除した「機械的な直接性や自動性」を意味するわけです。そう解釈しないと、写真の歴史的な意味を誤解・捏造することになります。「人間がつくりだす線」に対して、自然がつくりだす線＝ケミカル写真なんて、あまりにも反動的な見方ですね（笑）。</p>
]]></content:encoded>
		
			</item>
		<item>
		<title>
		Oshima より		</title>
		<link>https://kohan-studio.com/otterhaus/archives/50753078.html#comment-14</link>

		<dc:creator><![CDATA[Oshima]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 29 Mar 2007 04:50:18 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">https://kohan-studio.com/otterhaus/archives/50753078.html#comment-14</guid>

					<description><![CDATA[何だか、引用文を読む限り、畠山直哉の写真に対するスタンスは、ホリエモンを批判する人たちのスタンスと一緒ですね。「資本主義」あるいは「市場主義」をもっとヒューマンなものにしなければならない、てな感じの。「資本主義」あるいは「市場主義」そのものが非・ヒューマニズムなのに。つまり写真そのものが「テクノ画像」なのに、写真を自然なものにしなければならないみたいな。明らかに「起源の捏造」ですね。そもそもタルボットの「自然の鉛筆」を誤解してますよね。「鉛筆」はもちろん、絵画のコードを意味しているわけですが、「自然」は「人間（の意思）」を排除したという意味であっても、けっして「自然性」を意味するわけではない。むしろ「機械的な直接性や自動性」を意味するものとして解釈しないと、写真の歴史的な意味を誤解・捏造することになります。けっきょく彼も「あしきモダニスト」ですね（笑）。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>何だか、引用文を読む限り、畠山直哉の写真に対するスタンスは、ホリエモンを批判する人たちのスタンスと一緒ですね。「資本主義」あるいは「市場主義」をもっとヒューマンなものにしなければならない、てな感じの。「資本主義」あるいは「市場主義」そのものが非・ヒューマニズムなのに。つまり写真そのものが「テクノ画像」なのに、写真を自然なものにしなければならないみたいな。明らかに「起源の捏造」ですね。そもそもタルボットの「自然の鉛筆」を誤解してますよね。「鉛筆」はもちろん、絵画のコードを意味しているわけですが、「自然」は「人間（の意思）」を排除したという意味であっても、けっして「自然性」を意味するわけではない。むしろ「機械的な直接性や自動性」を意味するものとして解釈しないと、写真の歴史的な意味を誤解・捏造することになります。けっきょく彼も「あしきモダニスト」ですね（笑）。</p>
]]></content:encoded>
		
			</item>
	</channel>
</rss>
