1998.04.29

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photo and text : Sato Jun Ichi
●アサヒカメラ5月号に、平木収さんが「境界3」の展評を書いてくれた。それによると、佐藤は被写体となっている水門の姿にひたすら心をひかれているようでもない、とある。ああ、コンセプトの非常に微妙な部分をわかってくれてるなあと思う反面、やはりちょっとストイックさを強調し過ぎたかな、という気にもなってしまった。ひょっとして「コレクションではない、タイポロジーになってもいけない」とひたすら念じて切り捨てて来た部分の中に、何か貴重なものがあったのではないか。食べられる部分までゴミとして捨ててしまったか。そう思ったらいてもたってもいられなくなってきた。実は場所や光の加減で8x10で撮れない時、ポケットカメラで撮っていた水門の姿が以前から気にはなっていた。その35ミリポジををあらてめて見直してみよう、ということになった。で、今こうやって書いているバックグラウンドでスキャンしている(初代COOLSCANは遅いのだ)。なーに、別にコレクションでもタイポロジーになってもいいじゃないか。わたしはわたしだ。わたしは水門が好きなのだ、なんて開き直ったことをことを言いながら。